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Vol. 65 成熟期にある技術革新の時代に必要なことは何か(2)

~ ソフト制作の現場感覚・マイクロフォンについて ~

 モノーラル時代からの長いキャリアのある、録音エンジニアがこんなことを言ったことがあります。

「いま、そこにある道具を最大限に活かして、いい音を録るというのが、われわれの考え方で、その日どうしてもそのマイクロフォン(以下、マイク)しかないのなら、それで最高の音を録ってやろうと考える。あのマイクがあれば、もっとうまくいくんだが、なんてことは考えない。モノーラル時代なら、モノーラルでどうしたらいい音に録れるかを必死に考える。これがステレオならうまく録れるんだが、なんて考えない」

これはごく当たり前のことなのかもしれません。しかし私は、数学の難題に苦しんでいる時に、忘れていたごく初歩的な定理を示されて、一気に問題が解けた時のような思いがしました。私たち技術系の人間は、ある問題に遭遇すると、それを解決する新たな技術を考え出そうとするのが普通です。たとえば、解像度が不足していると言われると、解像度を上げる新しい回路を考えだそうとします。ベテランのエンジニアが言ったのは、そういう時には、新しい回路を考えず、その機械の使い方の工夫をまず考えなければならない、ということなのだと思いました。

私がソフト制作の仕事をするにあたっては、この教訓が常に頭にありました。録音機材の選択にあたってはスッタフと相談して、その時の音楽の編成、録音会場の音響条件などにもとづき、いつもその時点で最善のものを揃えるようにしましたが、一度スタートしたら、たとえ問題があっても、すぐに別な機材を求めようとは考えず、手元にあるものの使い方を徹底的に考え直すことで、問題を解決することを心がけました。

たとえば、マイクですが、メインに使うものは毎回ほぼ同じものです。しかし、同じメーカーの同系列の製品でも、振動板(ダイヤフラム)の大きさが違うもの、増幅素子に真空管を使ったものなど、いくつかの種類があり、このうちどれを使うかは現場でテストを重ねて選択します。そして一度決めたら、少々の問題があっても、後戻りしてマイクを取り替えるということは極力避けるようにしたのです。

マイクについてはずいぶん考えさせられました。いちばん大きな問題は、マイクと音源の位置関係です。人の声、管楽器、弦楽器、打楽器など、音源の種類によってもマイクの最適なセッティングは異なるのですが、同じ音源でも、音源との距離、床からの高さ、音源に対する角度、これらの違いが音に与える変化は驚くほど大きく、逆に言えば、再生音の評価で問題になることの大半は、マイクのセッティングによってコントロールできるのではないかと思われるぐらい、その変化は大きいのです。

音が硬い、ザラついている、あるいは高音域の伸びが足りない、低音がだぶついている、定位があいまい、立体感が不足している……こういう再生時に指摘される音質の欠点は、そのほとんどが録音時のマイクセッテイングに起因してのことが多いのです。これらは録音の段階のマイクセッティグで最大限の工夫をしておかないと、後でイコライザーなどのイフェクターで調整しても、効果は十分に得られません。その上、イフェクター類を使うことは、厳密に言えばSN比や位相特性を損ない、また音の鮮度を落とす危険性も大きいので、なるべく使いたくないのです。そのためにも、マイクセッティングには常に最大の注意を払いました。

たしかに、良い録音は機材の使いこなしによるところが大きいと納得させられました。そしてふと、マイクセッティングによる音の大きな変化は、再生時のスピーカーの使いこなしに通じるなあ、と思いました。

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