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2025spring
こちらJASジャーナル編集局
JASジャーナル発行に携わる編集委員と事務局のメンバーが、日々思ったことを自由気ままに呟きます。
今回の特集を通し、放送100年のうち、その半分以上の歴史を見聞きしてきたのだなぁと感慨深く思っているところです。小学校高学年、確か4、5年生頃から中学2年頃までの数年間、「ラジオの製作」の(割と真面目な)読者の一人として、色々なタイプのラジオ製作やら、短波ラジオ(ナショナル・クーガー2200と、アンテナカプラー+逆Lアンテナ)でのベリカード集めに興じておりました(友達はソニー・スカイセンサー5900を持っていて、日頃から競っておりました)。
という事は、当時はまだ日本で放送が始まって約50年をやっと過ぎたくらいだったことになりますが、その当時の私には、祖父やら両親などから聞く話とともに、もっとずっと昔から存在していたものという(本当に根拠ない)印象が強かった記憶があります。ただ、その頃に漠然と、ただかなり強く抱いた、送信機、受信機やらオーディオ機器を構成する電子回路、通信(放送)の理論などへの憧れと、それに始まる進路選択が、後の就職先(というか、職種)を決めた大きな要因となった事は間違いないです。私事ながら先日いよいよ定年退職を迎え、会社人生を振り返る中で、あの頃の体験や憧れをもとに、仕事を全うできたことに改めて感慨にふけっている自分がおります。BM
「ソニーを創ったもうひとりの男 岩間和夫四代目社長」(大朏博善著、WAC社刊)を読みました。戦後のテープレコーダ開発、トランジスタの生産、トランジスタラジオ、マイクロテレビの開発からCCDの生産とカメラの開発まで、ダイナミックなストーリー。それと並行して放送の発展の流れがあることも感じられます。
さて、今号は日本における放送100年を記念して番組制作、収音、再生の音響技術に関して幅広い分野の記事を執筆いただきました。ラジオ放送開始当初から吹奏楽やオーケストラの演奏のプログラムがあったことは興味深く、それから各分野で高音質化、高臨場感化に向けた取り組みがあったことがわかります。そしてこの5月、1920年に始まり、30年ぶりにアムステルダムで行われるマーラーフェスティバルにアジアから史上初、N響が参加するとのニュースがあり、このことからも時と文化の流れが感じられます。今年の残りも2/3足らず、100年の歴史を様々な側面から見ていきたいと思います。HO
とりとめのない話ですが、GW中にリビングの小型スピーカーの設置場所を大きく変更したら、低音がドロンドロンと気持ち悪くなってしまいました。バスレフの悪癖かもしれないと思いバスレフポートをふさいでみました。そうするとドロンドロンは無くなりすっきりしましたが、今度は低音が足りない…。トーンコントロールで低音を少し持ち上げてOKとしました。これもオーディオの楽しみの一つですね!TN
放送開始100年記念号を発行するにあたり、いろいろな文献に目を通したり、古いことを思い出したりしていると、面白い発見がたくさんあり、すべての情報を網羅できないのがとても残念に思います。ここでは、そんなこぼれた話を書いておきます。街頭テレビで、力道山の活躍に熱狂していたという話は聞いたことがありますが、戦前には街頭ラジオというものがあったそうで、ラジオの普及のために、広場や公園などにラジオ塔というものが置かれて、ラジオ放送が流れていたそうです。ラジオ体操もその頃から人気があったとか。
横浜の野毛山公園にそのラジオ塔が残っているというので見てきました。灯籠みたい形なので今でも違和感もなく周囲に溶け込んでおり、今、公園に居る人たちにはオブジェにしか見えていないでしょうが、歴史遺産としての厳かさをしっかりと感じてしまいました。昭和7年頃にNHKが全国41か所に建てたものの一つとのことです。SS
編集委員
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発行人:小川理子
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