2025spring

NHKドラマサウンドデザイン
100年目の現場より

NHKデザインセンター 音響デザイン部 
柴田なつみ

はじめに

サウンドデザインという言葉は、私が仕事を始めた2000年代にはまだあまり使われておらず、「音響効果」という仕事だった。携わる者は「効果マン」と呼ばれた。それが現在は「サウンドデザイナー」という呼び名になっている。サウンドデザイナーは、コンテンツの中でどのような聴覚体験を提供するか、演出(あるいは監督、ディレクター)の意図をふまえ、音楽や効果音を駆使してアイデアを具現化、サウンド面からコンテンツをデザインする。

1. NHKにおける、現在のサウンドデザインの仕事

私たちがテレビドラマを見る時、主人公たちが住む世界は画面の外にどこまでも広がっていて、その広い世界の一部を覗き見ているような気持ちではないだろうか。そういった画面外への広がりを自然に感じさせるのが音の重要な役割のひとつ、力の見せどころである。

また、ストーリー進行に合わせて、リアルには存在しえない音も用い、心理的効果を生み出す工夫も行っている。どういう音がどのような心理変化をもたらすか、日々研究しているというわけだ。心に大きく作用する音要素として音楽も使うので、作曲家や演出と一緒にドラマにおける音楽について時間をかけて議論したりもする。

テレビの音は最終的には、セリフ、効果音、音楽、など全部混ざった状態で同じスピーカーから出ていく。何の音をどのタイミングで、どの大きさで、どのような距離感で……などなど、小さな工夫の積み重ねで、テレビ画面から最大限に心揺さぶる体験が生まれることを目指す。

NHKドラマの例を取り上げ、サウンドデザインの現場の一端をご紹介する。

効果音

2024年に私が担当した大河ドラマ「光る君へ」は平安時代の京都を舞台とする物語。しかし撮影は現代の撮影スタジオや、市街地の一角でのロケであり、収録された音は現代のその場所のものでしかない。平安時代の風景として自然に感じてもらうために効果音を作るわけだが、そのためにまず、その時代の生活の様子をよく知る必要がある。

時代考証

考証というのは、歴史的な事実や資料に基づいて正確な情報を確認し、再現することを指す。真に迫ったドラマを作ろうとする際、どのセクションも考証に頭を悩ませていることと思う。

数十年前の話だったらその時代に録音された音を聞いて様子をうかがうことができるが、「光る君へ」の時代の録音資料などあるわけもない。その時代を生きた人に直接ヒアリングするのも当然不可能だ。文献や資料をもとに想像するところから効果音作りは始まる。アイデアを練り、正確性を検証する。それにしても音に関する記述は乏しい。ビジュアル(絵)の資料はそれなりに残っているのに…。

ドラマの中に京の街角のシーンがたびたびある。当時の首都の真ん中、一番の大都会だ。サウンドデザインチームは当然、賑やかな都会の雰囲気を出したいと思い描いていた。現在放送の大河ドラマ「べらぼう」などを見ていただけるとわかると思うが、時代劇の繁華街では楽器や節回しのついた売り声などの音楽的要素を雑踏の音にうっすら混ぜて賑わいを表現することが多い。それの平安版が作れないかと考えた。ただ、江戸時代のストリートミュージックと平安時代ではかなり雰囲気が異なるだろう。

撮影前にご相談したのは、芸能考証の友吉鶴心ともよしかくしん先生だった。長年にわたり多くの大河ドラマと時代劇で芸能考証とご指導をいただいている。先生のアドバイスは「当時は楽器というものがそもそも特殊。町音として気軽に使えるような庶民の楽器演奏はない」。劇中に「散楽さんがく」という庶民の芸能は出てくる。ということは、散楽で使っている素朴な打楽器などを効果音に多少流用するというのは考証面では間違いはないが、そうすると劇中で重要な意味合いを持つ「散楽」の音のスペシャル感が薄れてしまう。

色々な話を聞いていくうちに、そもそもこのドラマの音は「静けさ」が持ち味となるのかもしれないなと思うようになった。平安の「あはれ」の世界観である。

その静かな京都の中で、存在感を発揮したのが鐘と太鼓の効果音であった。雰囲気で適当に鳴らしていたわけではなく、時報であり、当時の日常音という設定である。時報を鳴らすのは大内裏・陰陽寮の「時守ときもり」の業務で、夜中も鳴らしていたとのことだ。江戸時代の時の鐘は「明け六つ、昼九つ」のような鳴らし方のルールが記録に残っている。しかし平安時代がどうだったかハッキリしない。「光る君へ」での鐘や太鼓を何時に何回打つというルールは陰陽指導の先生がこのドラマ用に設定していた。鐘の音色は、クリアに収録できた梵鐘の音をいくつか重ね、重みを感じることと、小さなスピーカーでも中域の美しい残響が残ることを目指した。

鐘と言えば、大宰府のシーンで使った「観世音寺」の梵鐘の音。あれは平安時代に既に存在していた鐘の音だ。紫式部が大宰府に滞在したのならばその音を聞いていた可能性が高い。千年前と今とが同じ音で繋がったような瞬間で、サウンドデザイナーとして心に残っている。

生き物の声の考証

効果音としてよく使うのが、鳥や虫などの鳴き声。源氏物語や枕草子にも生き物の声に関する描写はたびたび見られる。春の訪れを告げる鶯の声、夏の夜に鳴くホトトギス、秋の野に鳴く鹿の声…。

ドラマの効果音を作り始めると、こういった音の季節感ばかり考える時間が多いので、「サウンドデザイナーは鳥に詳しい」と仰っていただくことがあるが、デザイナーの全員が生き物の生態に詳しいわけではない。

NHKは「動物ごよみ」という検索システムを持っている。たとえば春の京都にはどんな鳥がいるのか。九州だったらどうか。山の高い場所ではどうか。実際の観測データをもとに作りあげられたものだ。時代劇の音を探す場合は外来種を除外するなど、この「動物暦」で調べればおおよそのところがわかるようになっている。


「動物暦」の画面

鳥の声に慣れ親しんでくると、それを使って暗示めいた表現がしたくなる時がある。今回、不義の子を匂わせるシーンで、托卵する鳥として有名な「カッコウ」の声を意図的に使った場面がある。また、「ホトトギス」は死を連想させる鳥と捉えられている一面があるので、キャラクターの行く末の仄めかしとして鳴き声を使ったりもした。考察してもらうためにやっているわけではなく、あくまで自然風景の中の一要素というていで発信しているので、暗示的な部分を聞き取って解説している方がネット上にいるのを発見し、驚いた。

音の収集

こういった音の素材は実は大変な苦労の上で録音されたものであることも多い。鳥は近づけば逃げるし、近づけたと思えば目当ての鳥と違うものが鳴いたり、上空を飛行機が通ったりする。鳥の声だけをきれいに録音するのはかなり難しい。稀に奇跡的にクリアな音の録音に成功した人がいて、その素材が何十年も大事に受け継がれている。「光る君へ」でキーサウンドのひとつだった「ヤマガラ」は少なくとも20~30年は昔に録音された音だ。


部内で共有している効果音素材の検索。
昭和時代の音もデジタルデータ化され、蓄積されている

素材収集について言うと、先に述べた大宰府の梵鐘の音源などは、「音の風景」というラジオ番組のために録音したものを番組担当者から貰い受けた。「音の風景」は40年前に放送開始した5分の番組で、音響デザイン部のデザイナーが制作している。貴重な音や、身近でも新しい発見を感じる音はそれ自体の価値が高いので、この「音の風景」の企画として録音に赴き、番組にして放送している。この番組のために録音した素材が、後からドラマ番組の効果音として活躍することも多い。


効果音収録風景 2014年1月 妙心寺 鐘の音ロケ

また、環境音以外にも、登場人物の所作・アクションの音のみを録音する作業もドラマでは頻繁に行う。これを「フォーリー」「生音」と呼んでいる。たとえばスタジオセットの撮影では、石の階段に見えるものが実は移動が容易な別素材で作られていることが多い。場面設定と実際の素材が異なり、現場で録音した音はボコボコと空洞の響きが強かったりする。そこで「フォーリーアーティスト」と呼ばれる専門家の出番となる。然るべき音のする場所で俳優の動きとシンクロして体を動かし、その音を効果音として上乗せする。無言の所作が大きな意味を持つシーンもあり、フォーリーには芝居心が必用だ。「光る君へ」で衣擦れの音が美しいと感想をいただいたことがある。現場の音が素晴らしかったのに加えて、フォーリーアーティストの堀内みゆき氏の繊細な所作音が融合した結果だった。

感情への影響

音が環境の広がりや人物の存在感を補強するだけでなく「心理変化をもたらす」ということを、先だって述べた。

例えば、無言の中に切ない雰囲気を漂わせたいシーン。晩夏の夕であればヒグラシだろうか。秋の夜なら鈴虫が一匹儚く鳴いているなど切なさを醸し出しそうだ。冬ならシンと沈黙した方が心に響く。あるいは、物語の中で登場した思い出深いキーサウンドが聞こえたりすると、一層心揺さぶられる。

また、事件の予感を感じさせるシーンだったら、ざわざわした風音や、遠雷なんかも効果がある。恐ろしさを強調したかったら、現実には鳴らないような得体の知れない唸りのような音とか、「キーン」と耳鳴りのような音などを入れて緊張感を煽ったりする。『光る君へ』では呪詛に関わるシーンに人の声や息を加工して混ぜたりもした。経験上「この音はこういう効果がある」と学んだ無数の手立てを、色々試しながら音付けを行う。演技や映像のトーンによっても効果が変わってくる。

音楽

音楽は感情に大きく作用するかなり重要な要素で、NHKドラマではサウンドデザイナーが積極的に関わっている。具体的に何をしているのかというと、まずは台本をもとに作曲家に対してのリクエストシートを作成する。初回発注時の段階では、台本はドラマの序盤までしかないが、大まかなストーリーラインや演出の方向性などを加味し、楽曲のオーダー内容をシートに落とし込む必要がある。

大河ドラマのような長期の連続ドラマの場合は、作曲家、番組プロデューサー、複数の演出担当者、複数の音響デザイナー…と、音楽演出に関わる人数が多い。人の数だけ違うイメージがある。ここで皆のヴィジョンを確認しておかないと実際の選曲の段になって苦労する。

大河ドラマは通常、年4回の音楽(通称「劇伴(げきばん:劇中伴奏曲)」)録音を行う。リクエストを出した他にも作曲家・冬野ユミさんのインスピレーションによって新たに生まれた曲がたくさんあり、最終的にはメインテーマや「大河紀行」用の楽曲含め、174曲の録音となった。

録音した劇伴の中から、各回の担当者が選曲を行う。ドラマの選曲に携わる者は大抵、「主人公の目線で、感情が大きく動く部分を主軸に音楽を構成する」という指針で選曲を始めるだろう。しかし良い選曲について確固とした方程式のようなものはなく、型を破っていて面白いということもある。

個人的な思い出だが、「画面の中で誰かが悲しんでいるからといって、悲しい曲を選ぶのがよいのか、よく考えた方がいい」と指導を受けたことがある。冬野ユミさんがインタビューの中で「説明する音楽は作らない」と仰っていたのとも共通する。これは選曲の重要なポイントだ。画面から受け取る印象の裏にあるものを考え、それがドラマのメッセージの中でどういう意味合いを持つのか、そもそも本当にそこに音楽が必要なのか……全て踏まえた上で、ここぞという瞬間を決めて曲をスタートさせる必要がある。そして音楽を編集して収め、次の展開により一層集中してもらう。

話の流れに即して劇伴を細かく調整できるのは、DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)の普及のおかげもあるだろう。楽器ごとにわかれたデータでセリフとぶつかる帯域など調整することが最近の大河ドラマでは一般的である。


ステム=楽器ごとのデータ。「光る君へ」の劇伴より

「光る君へ」の音楽では少し変わった試みもあった。最終回で「当て録り」をしたのだ。映像編集が終わってから、「このカットのここから音楽がはじまり、ここで展開して…」と決めていく方式で、繊細な物語進行と音楽のより一層高い一体感が期待できた。11/10に打ち合わせをして11/15には録音という信じられないタイトなスケジュールだったが、研ぎ澄まされた音楽の力が遺憾なく発揮された見事な劇伴だった。1990年代中頃までは大河ドラマは毎回当て録りをしていたそうだ。

2. 聞き書き:昭和・平成のドラマサウンドデザイン

ラジオ放送が開始された1925年は、音響効果付きラジオドラマ「炭鉱の中」が放送された年でもある。当時は俳優のセリフも、音楽も効果音も、ひとつの同じスタジオで音を出して生放送していた。効果音を担当する専門集団は「効果団」と呼ばれ、「劇団」とか「楽団」と同じような存在だったらしい。そういった環境の中からNHKドラマ専属の「NHK効果団」が誕生し、「NHK音響効果部」となって、現在のNHK音響デザイン部につながっている。

1975年放送の連続テレビ小説(=朝ドラ)「水色の時」で効果音を作っていた大先輩・今井ゆたか氏を初めとして、数人の先輩に昔の朝ドラについて話を伺う機会があった。朝ドラでは、3~5台の6ミリ再生機を並べ、俳優の演技に合わせて音楽や効果音を再生し、セリフと同時に録音していたそうだ。「同時音入れ」と呼ばれる方式だ。失敗すれば俳優も含めて全員でやり直し…という現場は相当な緊張感だっただろう。1シーンを一気に1ロールで撮影が基本。1週間放送分の約90分を3日で収録していたという(ロケ部分のみMA)。

アナブース(アナウンサーなどの声をクリアに録るための防音ブース)に道具を持ち込んで、演技と同時に音を鳴らすことも行った。朝ドラ「おしん」で効果マンを務めた林幸夫氏のお話では、アナブースを使うのは電話の「ジリジリ」や受話器を置く「チン」の音が多かったが、ときには「平手打ちの音」も俳優のタイミングに合わせてマイクの前で体を叩いて出していた。「おしん」では6ミリ操作含めて全ての効果音を2人で出していたというから、当時の効果マンの反射神経の高さと集中力には驚くばかりだ。こういった、演技と音楽・効果音を同時収録するやり方は、NHKでは「おしん」が最後だったそうだ。これ以降は、音は映像編集の後、音入れ専用のスタジオで仕上げる「MA」の方式が定着した。

音楽はこの頃になると生演奏ではなく、事前録音したテープを再生する方式となっていた。台本から「何分何秒」と尺を想定し、作曲家に曲を書いてもらう。そうして録音したテープを撮影スタジオに持って行き、俳優の演技に合わせて再生する。ところがいざ演技と合わせてみると、音楽の長さが足りなくなってしまうことが多々あったそうだ。音楽が鳴り始めると演技に一層情熱がこもり、当初の計算よりも伸びてしまう。こうなった時は急いで6ミリテープを切って繋いで、音楽の尺を伸ばし対応した。「効果待ち」と言われながら作業するので焦りを感じた…というのが、古い時代の先輩デザイナーからよく聞いた話だ。

写真は1987年の106スタジオの一角。大河ドラマ「独眼竜政宗」の収録現場。ここに並んでいる6ミリ再生機と奥に見えるブースは、さきほど述べた「おしん」のような同時収録時代の名残だということだ。


「独眼竜政宗」撮影時の106スタジオ副調整室。
6ミリデッキを操作している菅野秀典ひでのり氏は、2024年大河「光る君へ」でもサウンドデザインチームで活躍。
NHK 退職後の現在もドラマの仕事に携わるベテランデザイナー

こちらの写真は同「独眼竜政宗」のMA風景。大河ドラマはアクションサウンドなど細かい音要素に対応する必要もあって、割合早い時代に、撮影と効果音付けが別作業になっていたようだ。音楽は先に述べたように「当て録り」だった。仕上げの最終段になって音楽を変えたりやめたりすることもあり、その時は一同申し訳なく感じながら作曲家の先生に弁明したそうである。

この時代のドラマはモノラル放送で、大河ドラマがステレオ放送になったのは1991年の「太平記」から。以降、次第にステレオ番組が増えていったが2000年代前半まではモノラルミックスも作っていた。


NHK内ドラマMAスタジオ。「独眼竜政宗」MA 風景

次は少し時代が下がり、1999年のMA風景。この頃になると6ミリ一強の時代が終わり、DAWが普及した。この後まもなくPro ToolsやNuendoが導入され、膨大なトラック数やプラグインを利用しての作り込みが盛んになっていった。


1999年、ドラマMAスタジオ。6ミリとデジタル機器を併用する時代

最後に、2024年「光る君へ」のMAスタジオ。部屋自体は「独眼竜政宗」のMAスタジオと同じ場所だと思うが、改修工事もあり、見た目が随分と変わった。5.1chサラウンドのスタジオである。大河ドラマがサラウンド放送になったのは2019年「いだてん」から。

3. ドラマサウンドデザインの未来を夢見る

サウンドデザインを取り巻く状況は100年かけて少しずつ変化してきた。では今後どうなっていくのか…。近くにいるデザイナー数人に、想像する未来風景を尋ねてみた。あくまで雑談なので、そこはご了承願いたい。

視聴環境の変化

視聴環境の変化は多くのデザイナーが注目している事柄だ。薄型テレビはスピーカーの特性上、低音の効果を出すことが難しかった。低音の迫力が必要な場面において、他の帯域の要素を足しつつ迫力が出るように工夫するなど、テレビサウンドならではの悩ましさが存在した。

最近はヘッドホン・イヤホンで視聴する人が増えていたり、コンパクトでも高音質のテレビなども登場している。低音や細かい音が今まで以上に効果を発揮しつつあるのだ。こういった視聴環境が主流になれば、音の判断やミックスの目指す方向性が変わっていくとも考えられる。

リアルの追求


22.2chのMAスタジオ。上方にもスピーカーが並んでいる

放送開始当初はモノラル放送だったものが、ステレオによって左右の定位の表現が可能になり、サラウンドによって360°の広がりを得て、臨場感が高まっている。22.2chサラウンドは音源の高低の操作もできる。ではその次に来るリアリティへの挑戦は何か。

「イマーシブオーディオ」が話題にのぼった。ユーザー側のスピーカーの位置など物理的環境を加味した上で、リアルな音響体験を追求することを目的としている。テレビ放送は受け手の視聴環境を調整することはできないが、受け手の側のシステムが最適な視聴環境を実現してくれる。

また、臨場感からは話がそれるが、視聴環境の「パーソナライズ」も気になる新技術だ。こちらも受け手側が自分の環境を調整する仕組みで、たとえば「セリフが聞きづらい」と感じたら聞きやすくなるよう調節したり、「こういう音は苦手」という要素があれば効果音も、特定の要素を省く選択肢を作ることもできる。

しかしそれは、ひとつの表現を決意をもって提示する創作性と相反するところがある。その葛藤と向き合いながらドラマのサウンドデザインのベストを探る時代がくるのかもしれない。

文化の融合と創造

海外在住のクリエイターと仕事をする機会が増えている。通信技術の発達で、遠い場所にいてもコミュニケーションがとりやすくなってきたのだ。異なる文化背景を持つ人たちとの交流は、新たな発想を生む。また、これは今に始まったことではないが、海外の連続ドラマを見て日本とは異なる音演出の手法に興味を抱き、トライしようとするデザイナーもいる。遠くの文化と混ざりあって新しい表現が生まれる傾向は、今後ますます強くなっていくだろう。

4. 最後に

このように技術の変化を思い描く一方で、泥臭い部分は変わらず残るという見解が、デザイナーたちの間には根強い。泥臭いというのは、細かい試行錯誤の繰り返しに加えて、物理的な泥臭さ──自らの身体を動かし、スタジオやロケで土埃にまみれて理想の音を録音する、というような行為を含んでいる。放送開始から100年かけて手法が変化してきた今現在も、この泥臭さと完全に縁を切るサウンドデザイナーはほとんどいない。

私たちがスピーカーを通して届ける音には、物理的なリアリティに加えて、ドラマの核心に迫るための工夫が込められている。100年前、壁に囲まれたスタジオに海や雷や汽車を出現させようと音響効果団が奮闘していたのと同じように、放送100年目を生きる私たちも果てのない表現の可能性の中で試行錯誤の日々を歩み続けている。

執筆者プロフィール

柴田なつみ(しばた なつみ)
2006年、東京藝術大学音楽環境創造科卒、NHK入局。デザインセンター音響デザイン部所属。ドラマ番組を中心に効果音の作成、選曲などサウンドデザインを担当。ラジオ番組『音の風景』ではディレクターとして制作に携わっている。現在取り組んでいるのはドラマ10『しあわせは食べて寝て待て』。