2025spring

ラジオ放送の思い出

日本オーディオ協会 会長 小川理子

今年は日本における放送100年、人類に劇的なインパクトをもたらした放送というインフラが日本社会に実装されて1世紀が経過する記念すべき年です。現在のNHKがラジオ放送を開始したのが1925年3月22日のこと。NHKのラジオと言えば、思い出深いのは、夏休みのラジオ体操、そして基礎英語ですね。

東京オリンピックがカラーテレビで放映され、その後のお茶の間のテレビブームに火がつきました。私が物心ついた昭和40年代、当時の小学生のほとんどがテレビっ子で、朝早くから子ども向けの番組や、夢溢れるアニメにかじりついて観ていました。

テレビの面白さもさることながら、小学校高学年にもなるとラジオの面白さにも目覚め、中高生の時には、自分の勉強部屋で、ラジオから流れる様々な音楽を聴き、ディスクジョッキーの声やお話にゾクゾクしながら想像の翼を広げて、一人の世界観を楽しむ術も身につけました。もう今となれば、お笑い芸人がテレビを独占していますが、その頃のラジオで聴く漫才の面白かったこと。声色だけで、表情から身振りから、その場の空気感や熱量が伝わってきました。観客が入っての生番組の収録放送もあり、観客の拍手や笑い声が生々しく伝わってくるのを、自分もまるで観客の一員になったかのような一体感を感じることができました。

夜にFM放送でまだクラスの誰も知らないような洋楽を聴くのが、ちょっとオマセな感じもして、子ども心に憧れを感じるスタイルでした。一番多感な子ども時代に、ラジオやテレビという放送メディアを通して、ふんだんに豊かな体験をさせていただいたことに感謝をしています。

1990年代に放送と通信の融合が進み始め、世紀を越える頃には、世界規模のとてつもない情報網が人々の暮らしを呑み込んで張り巡らされはじめ、今やAIの創った作品が堂々と評価されるようになりました。10年ひと昔という時間感覚が鈍くなり、人類の存在意義さえ問いかける今日、放送100年の重みと技術の進化を静かに振り返っています。

文化資産を進化発展させ、未来につなぐ。いつの時代も人類がそうしてきたように、日本オーディオ協会は、関連する業界の皆様方とともに、放送という文化資産をしっかりと包容し、未来につなぐ活動を続けてまいります。


国産第1号鉱石ラジオ(1925年 シャープミュージアム蔵)