日本オーディオ協会 創立70周年記念号2022autumn

日本オーディオ協会 創立70周年を祝して

日本オーディオ協会 元・理事 佐伯多門

この度は日本オーディオ協会創立70周年を迎えられ、誠におめでとうございます。

コロナウイルスの感染状況が未だ収まらない中、6月には創立70周年を記念する「OTOTEN2022」を開催され、リアルイベントを待ち望んだオーディオファンの夢を実現させてくれました。私も久しぶりに参加し、小川会長と末永専務理事にお会いでき、お祝いを申し上げることができました。また、来場者の中で久しぶりに再会できた方も多く、お互いの健勝を歓び合えました。

会場を拝見し、若い人たちも多く参加され、日本オーディオ協会の未来に向けての活動が芽を出してきたと感じ、今後に大いなる期待を持ちました。これまで協会の運営には色々な変遷がありましたが、創立以来、協会が掲げてきた良い音で音楽を聴く楽しみは、永遠に続くものと確信しています。

今回、この創立70周年記念特別号に執筆を依頼されたのも、1982年から2006年まで、オーディオ業界の良き時代に日本オーディオ協会の理事を務めさせていただいたことによるものと、大変光栄に思っております。このため私流に70年を振り返ると、どんな出来事があったのだろうか、私見を交えて誌面の許される範囲で、述べてみようと思います。

まずこの協会が創立するに当たっての動向は、その当時の社会情勢、趣味や娯楽の背景を知る必要があります。70年前は今では考えられないかもしれませんが、テレビ、パソコン、携帯電話、自家用車など無く、娯楽はAM放送のラジオとSPレコード再生の「電蓄」でした。そこに登場したのがモノラルのLPレコードと、民放のラジオ局の誕生、それにNHKの第1放送と第2放送の電波を利用した立体放送の実験でした。これらの音は高音質で驚きと興奮を覚えました。また感動でした。

良い音で音楽を聴きたい、生のような音の再生方法(いわゆるHiFi再生)をどうすればできるのか。多くの人々が夢中になりました。この時代にはメーカー製品は少なく、自作するのが大部分で、それぞれのパーツの選定や組み立て方法から学ぶ必要がありました。そして多くの人がその技術的手段に迷っていました。こうした背景の中、識者の方々は音響学会などとは違った「可聴音高忠実度録音および再生」=「オーディオ」の学会を設立することを狙って動き出しました。

最初に実動したのは、1952年10月4日に中島健蔵先生が中心となって、通信工学や音響関係の専門家やメーカー関係者を集めて、平凡社の三階講堂で創立総会を開き誕生させた「日本オーディオ学会」でした。中島健蔵先生が初代会長に就任し、翌年5月には「日本オーディオ協会」に改称して今日に至ります。この間に第1回全日本オーディオフェアを1952年12月に開催し、続いて第2回を翌年の10月に開催するなど、協会は毎年オーディオフェアを開催し、高忠実度再生の技術と、これを目標とした製品や部品、技術指導など、オピニオンリーダーとなるユーザーの育成に力を注ぎました。


初代会長 中島健蔵氏(左) 筆者撮影

また、その頃、地方の都市を中心にオーディオ愛好者を集めた「〇〇オーディオ協会」が雨後の竹の子のように次々と誕生し活動を始めました。そして〇〇オーディオフェアを開催しました。私の知っているものでは関西オーディオ協会、神戸オーディオ協会、大阪オーディオ協会、北海道オーディオ協会などありました。これはメーカー関係者にとっては統一する必要があり、このため中島健蔵会長は地方の協会を回り説得して、1958年頃までに日本オーディオ協会に一本化することができました。大変なご苦労があったと聞いています。

オーディオ市場が一変したのは、カラーテレビが普及した1963年頃で、「ポストカラーテレビ」としてステレオオーディオ事業の規模拡大を予測して各社で投資が行われ、次々と高性能なオーディオ機器が登場してきました。丁度、ユーザー市場には若い世代として戦後生まれの「団魂の世代」の人々が新しい音楽を求めてステレオLPレコードを買い、オーディオ再生を楽しむようになりました。新しいポップスの音楽の流れには、これを再生する機材として一体化したシステムステレオから、スピーカー、アンプ、プレーヤーなどをそれぞれバラバラに買い揃えるコンポーネントステレオへと市場が変化していきました。このためこれらを求める人々がオーディオフェアの会場に集まり、大変な盛況でした。


第二代会長 井深大氏(中)

こうしたオーディオ市場の隆盛の中、日本オーディオ協会の役割として、メーカーの研究者や技術者の技術的成果を取り上げ発表する場を設ける必要がありました。第二代 井深大会長は、このため1979年から会報を「JAS Journal」と改称し、月刊としてここに論文発表の場を誌面にとり、成果を掲載するようにしました。

また、創立35周年を記念した事業として、中島平太郎 第三代会長、高橋三郎専務理事を中心として「JASコンファレンス」が企画されました。1986年10月にその第1回を開催するとともにAES日本支部と毎年交互に開催して、長期化を狙いました。そして2004年まで18年間続けることができ、多くの技術文献を後世に残すことができました。この時代、CDやDATが発売され、VTRにおいてもHiFi化が進むなど、たくさんのオーディオ技術者たちが明日への期待に目を輝かせていました。


JASコンファレンス シンポジウム
「21世紀、その多様化するメディアとオーディオ」

その後、「JAS Journal」誌の紙発行は2005年で終わり、2006年より協会のホームページからPDFファイルをダウンロード、そしてホームページ上で閲覧する形態へと変わりました。この頃からメーカーのオーディオ市場撤退や研究開発の縮小などあって、研究開発者が激減し、論文記事の掲載が減少していったように感じています。長く「JAS Journal」誌を愛読し、オーディオの世界を見守ってきた私は、どこまでも技術に積極的な元気のある技術者の投稿を待ち焦がれています。

こうした変遷の後、2018年に第五代会長の校條亮治氏から現・小川理子会長に代わり、オーディオを取り巻く環境はますます厳しくなる昨今ではありますが、オーディオはマニアだけのものではないと明るく熱心にフレッシュな空気を吹き込んでおられます。そして今年、創立70周年を迎えることとなりました。果たして高忠実度再生の夢を、今後どのように繫いで行くのか、創立70周年を迎えた後のオーディオ協会の活動に、期待をしています。


左から前・第五代会長 校條亮治氏、
現・第六代会長 小川理子氏、筆者 佐伯多門

執筆者プロフィール

佐伯多門(さえき たもん)
日本オーディオ協会 元・理事
愛媛県今治市出身。1954年、愛媛県立新居浜工業高校電気科卒、同年三菱電機株式会社に入社。1955年よりダイヤトーンスピーカーの開発設計に従事。数多くのスピーカーシステムの開発に携わり、スピーカー用新素材や新技術を開拓した。