日本オーディオ協会 創立70周年記念号2022autumn

『立体音響、飛躍の10年』
BS8K放送の22.2マルチチャンネル音響

島㟢砂生(日本放送協会 放送技術局制作技術センター)

概要

放送においてこの10年は、新4K8K衛星放送の本放送開始が大きなイベントでした。2000年の衛星デジタル放送によるハイビジョン放送の開始から18年、映像や音声に関する様々な技術が開発されました。本稿では日本放送協会(以下、NHK)が研究開発を進め、8K放送で採用されている22.2マルチチャンネル音響方式の音声の概要を解説するとともに、NHK交響楽団(以下、N響)の演奏会を22.2マルチチャンネルで収録した際の制作概要を紹介します。

はじめに

2018年12月1日、新4K8K衛星放送の本放送が始まりました。特に世界で初めての実用放送での8K映像は、ハイビジョンの解像度(水平1920×垂直1080画素)の16倍にあたる水平7680×垂直4320画素という高精細化に加え、4K放送でも採用されてた広色域化やHDR(ハイ・ダイナミックレンジ)化などの最新の技術を盛り込むことで、臨場感のある映像表現を実現していることが特徴となっています。

また、BS8K放送ではこの臨場感ある映像に対応した迫力のある音響を視聴者に届けるために、22.2マルチチャンネルで制作したコンテンツを放送しています(編註:BS4Kでも一部の番組では22.2マルチチャンネルで放送されています)。放送においても「立体音響」が本格的に始められたということで、これは大変意味のあることと考えています。

本稿では、まず22.2マルチチャンネル音響方式の概要説明と、立体的に配置されたスピーカーにどのように音を配置して音場を創り出すかについて、また、臨場感のあるコンテンツの質を上げていくためにこれまでに積み重ねてきた収音方法やマイクロホンアレンジ、ミキシング等の制作の工夫について、コンサートホールでどのように22.2ch音響を収録しているのかを例に挙げて紹介します。

22.2マルチチャンネル音響とは

8Kの高精細映像にふさわしい音響条件として、以下の4点が設定されました。

これらの条件を満たすスピーカー配置や、音場再現に必要なチャンネル数を検討し、現在の22.2マルチチャンネル音響が開発されました[1]。22.2マルチチャンネルでは、立体的に配置された22個のスピーカー(空間を3層に分け、それぞれ上層に9個、中層に10個、下層に3個)と2個のサブウーファー(低音専用スピーカー)によって、音場を表現します。

22.2マルチチャンネル音響のスピーカーレイアウト

22.2マルチチャンネル音響の実用化に際し、ITU-R(国際電気通信連合無線通信部門)、SMPTE(映画テレビ技術者協会)、ARIB(電波産業会)などの標準化団体において標準化がすすめられ、スピーカー配置は、国際的に「Recommendation ITU-R BS.2051」の中で規定されており[2]、国内規格では「ARIB STD-B59」に標準化されています[3]。「SMPTE ST2036-2」には8Kの音響方式のサンプリング周波数、量子化ビット数、チャンネル数及びチャンネル順序が規定されており[4]、また、「ARIB STD-B32」には新4K8K衛星放送の符号化方式について規定されています[5]

編註
ITU-R(International Telecommunication Union -Radiocommunication Sector)
SMPTE(Society of Motion Picture and Television Engineers)
ARIB(Association of Radio Industries and Businesses)

8K試験放送が開始された2016年の12月31日に放送された『第67回NHK紅白歌合戦』では、2018年本放送開始後の生放送を見据えて、8K試験放送とともに、「NHKふれあいホール」(東京・渋谷)、「イオンシネマ港北ニュータウン」(神奈川・横浜)、「グランフロント大阪ナレッジシアター」(大阪)、「NHK熊本放送局」(熊本)の全国4ヵ所で、8K映像+22.2マルチチャンネル音響でのライブパブリックビューイングを行いました。

翌年2017年の『第68回NHK紅白歌合戦」では、「NHKふれあいホール」、「ベルサール秋葉原」(東京)、「神戸文化ホール」(兵庫)でもパブリックビューイングを実施し、普及展開を図りました。

22.2マルチチャンネルでの音楽番組制作の実際

22.2マルチチャンネル音響を使った音楽番組制作は、『NHK紅白歌合戦』、『N響演奏会』などNHKホールで制作された番組や、『宝塚歌劇団公演』があり、それに加えてドキュメンタリー番組内などで使用する目的での劇伴収録などがあります。

以下に紹介するのは、筆者が収録を担当した番組で、東京・池袋にある東京芸術劇場で2021年6月11日に行われBS8Kで生放送された『N響演奏会 6月公演』の制作概要です。

マイクロホンアレンジ

音場を立体的に表現する22.2マルチチャンネル音響では、従来の5.1chサラウンド、2chステレオに加え、上下方向からの音が再現できます。それぞれの方向から到達する音を的確に捉え、あたかもコンサートホールで聴いているような、リアルな音響空間を創造します。

空間を表現するために、コンサートホールを実際の22.2マルチチャンネルのスピーカー配置に見立てて、客席上に13本(上層8本、中層のサイドからリアにかけて5本)のアンビエンス用マイクを設置しました(写真左)。既設の吊装置以外の場所にもマイクロホンの設置が必要なため、天井からもマイクを吊下げてセットしました(写真右)。これらのマイクロホンは響きを豊かに捉えるために、全指向性マイクロホンを用いました。

中層のフロント音場集音用マイクは、クラシック音楽番組の収録で定番的に使用している全指向性のDPA Microphones(以下、DPA)の4006マイクを3本使用しました。マイク設置用アレイは、3mの高さのステレオバーを用い、L-C-Rの3本を固定。なおC用マイクは15㎝ほど前方に出しています。ステージからの高さは約3.6m、指揮台からの距離は約2mとし、リハーサルで位置を微調整しています。


メインマイクロホンアレイ

上層には小型で目立たないDPA 4006Cを使用しました。全指向性のマイクロホンとはいえ、高域で指向性を持つため、マイクロホンアレンジは上向きとし、天井からの反射音を多めに拾えるようにしました。TpFL-TpFRの間隔は約10m、客席床面からの高さは約12mです。中層のSiL/SiR、BL/BC/BRにはDPA 4006を使用しました。

天井からのワイヤー1点吊りでは、マイクロホンに角度を付けることが難しいため、真下に向けて降ろし、全周波数帯域で全指向性となるようにノーズコーン(DPA製音響補正イコライザーUA0777)を付けました。客席からの高さは約9m、上層部のマイクロホンと約3mの間隔をとり、上下の広がり感を損ねないようにしています。下層には空間の響きを表現するマイクロホンは割り当てず、低音部のスポットマイクを割当てて、オーケストラの厚みを補強するチャネルとして利用しました。

このほか、各楽器の収音補助として、パートごとにマイクロホンを配置しました。弦楽器群には吊り装置を使いマイクを設置、その他のパートはマイクロホンスタンドを使用しました(図)。

マイクロホンのプランニング図

ミキシング

ミキシングは22.2マルチチャンネル対応の音声中継車で行いました。まずミキシングの準備として、22.2マルチチャンネルの各該当チャネルへメインマイクロホン、アンビエンスマイクロホンをアサイン(割り当て)します。メインマイクロホンの「L」「C」「R」を、それぞれ「FL」「FC」「FR」とし、アンビエンスマイクロホンはそれぞれの配置に合わせてアサインします。全体のバランスがとりやすいように、これらのマイクロホンを「メイン」マイクロホン、「上層」マイクロホン、「中層」マイクロホンの3群に分けて、音量レベルをグループごとにコントロールできるようにします。

リハーサルが始まったら、3つに分けた「メイン」「上層」「中層」群でおおよその空間表現のバランスを決めます。ここで、メインマイクロホンでの収音に対して、楽曲でのバランスや響きが適正かどうかを判断し、メインマイクロホンの位置を微調整します。

次にメインマイクロホンでは収音しきれない各楽器の厚みやエッジ、音量などを、「スポット」と呼ばれるマイクロホンの位置やレベル調整、イコライジング処理により、メインマイクロホンの音色を損なわないよう、バランス良くミックス、楽曲の完成度を高めていきます。

空間内の個別楽器ごとの音の定位については、メインマイクロホンで収音される楽器の定位に準じて決めています。ステージ奥に配置されたティンパニやパーカッション群はメインマイクロホンへの到達音に時間差が生じるため、スポットマイクでの収音には、ディレイを入れて補正します。

このように各楽器の音のバランスを整えていくと、空間のバランスが変わってくるため再び全体を調整します。これらの作業を繰り返し、全体としての響きや楽器のバランスが最適となるように、音像および空間表現を整えていきます。

また、本番演奏時には観客が入り、リハーサル時に比べ残響が減少するため、必要に応じてリバーブ(NHK放送技術研究所で開発した3次元残響付加装置やTC Electronic製SYSTEM6000を使用)を用いて、補正できるようにしています。ただし、アンビエンスマイクロホンで収音した音を元に創り出した空間表現を壊さないようにリバーブの使用は最小限に留めます。

LFE(Low Frequency Effect:低域効果)チャンネルの扱いについて、NHKのクラシック音楽番組では、音声モード(5.1chサラウンド、2chステレオ)で楽器のバランスや音の印象が変わることを極力避けるため、通常は使用しておらず、22.2マルチチャンネルについても基本的には同様の扱いとしています。

しかし、本番組は、再放送用にリミックスを行った際、楽曲上の必要性からグランカッサ(大太鼓)の低音補強に一部、LFEチャンネルを使用しました。グランカッサの音声信号をそのままLFEチャンネルに送ると、他のパーカッションのかぶり音など、不要な音が一緒に出力されてしまうため、楽譜を確認しながら演奏されている部分だけを抜き出しLFEに使用し、5.1chサラウンド、2chステレオとの音響的なバランスが等しくなるようにミックスバランスを調整しました。

BS8Kの生放送では、22.2マルチチャンネル、5.1chサラウンド、2chステレオの3種類の音声モードを同時に送出する必要があります。そのため、22.2マルチチャンネルのミキシング作業と並行して、ダウンミックスのバランス・レベルも決めなければなりません。

ダウンミックスとは、22.2マルチチャンネル音声から、5.1chサラウンドや2chステレオの音声を生成することです。これにはあらかじめ規定(ARIB STD-B32)されたダウンミックス係数があります。この規定されたダウンミックス係数は、あらゆるジャンルのコンテンツに対応させるために標準化された係数です。

しかし、クラシック音楽を収録した、22.2マルチチャンネルの音素材を規定値どおりにダウンミックスすると、アンビエンスに使用している全指向性マイクの音が結果的に多くミックスされて、濁った感じが増すとともに、広がり感が減少し、音像の幅が狭くなってしまいます。そこで、5.1chサラウンド、2chステレオを生成する際に、必要な音と不要な音を選択し、クラシック音楽制作に特化したダウンミックス係数を策定しました。

具体的には、メインマイククロホンと時間差があり、直接音成分も多い「SiL」、「SiR」、「TpSiL」、「TpSiR」チャネルのダウンミックスレベルを規定値より3dB下げ、音の濁りの軽減を図ります。さらに「TpC」、「TpBC」、「BC」等の各レイヤーのセンターチャネルレベルも規定値より6dB下げ、広がり感の減少を抑制しています。

22.2マルチチャンネル音楽制作用設備について

常設スタジオ

NHK放送センター内には現在22.2マルチチャンネル対応編集スタジオ(MAスタジオ)と、事前にデータ整理等を行える準備室があります。

3室あるMAスタジオのうちの1室、CD606スタジオでは、ポストプロダクション(後作業)のみならず、『NHK紅白歌合戦』、『N響演奏会』、『ライブエール』、『バレエの饗宴』といった音楽番組の生放送を行っています。同スタジオのメインミキシングコンソールは、生放送対応のためにタムラ社製NT-900を、バックアップ用にローランド社M-5000を整備してあります。

デジタル編集システム(DAW)にはAVID(アビッド)社のProToolsを4台導入し、録音/再生/編集と様々な役割を担わせることで、22.2マルチチャンネルのように多くのチャンネルを使用する番組に柔軟に対応しています。

ProToolsは22.2マルチチャンネルのパンニング(音の定位処理)がダイレクトに行えないため、7.1chや7.0ch、あるいはSDDS(Sony Dynamic Digital Sound)の7.0ch等の音声トラックを利用し、たとえば中層にSDDS7.0ch+LCR3chで10ch分を、上層に7.0ch+ステレオ2chといった組合せで、22.2chマルチチャンネルの処理システムを構築しています。多彩なプラグインを導入することで、音声ミキシングの利便性を図ると共に、各番組におけるパラメーターの管理による再現性を確保しています。

上記番組の会場となることが多いNHKホールでは、同じ局内とはいえ物理的には離れているため、光回線を結び信号伝送しています。また、NHKホールのメインコンソールであるSSL(Solid State Logic)社のSYSTEM-TとLANで接続し、リモートPCによる音声信号のルーティングやヘッドアンプのゲイン等、一部のコントロールがCD606スタジオ側で可能となっています。


CD606スタジオ

音声中継車

NHKでは3台の22.2マルチチャンネル対応音声中継車を所有しています。各中継車とも拡幅タイプで、一定の制作スペースを確保しています。そのうち2台については、トレーラータイプとなっています。メインコンソールはCD606スタジオと同様にNT-900を搭載しており、音楽番組や、スポーツ番組、大型イベント番組などの22.2マルチチャンネル制作を行っています。

『N響演奏会』を東京芸術劇場から生放送を行ったSA-1音声中継車では、会場からの音声信号の入力はNT-900のStageBoxを使用しています。SA-1音声中継車には48chのマイクロホン入力と8chのライン出力を持つ入出力ボックスが2台、MADI(マルチチャンネル対応デジタルインターフェイス)対応の入出力ボックスが2台搭載されています。これよりも扱う信号が多くなる場合には、LWB(Lightwinder Broadcasting)などの光伝送装置を利用し、車内に装備されたルーターにアサインすることで、多数の音声信号を扱うことが可能となっています。

まとめ

BS8K放送の22.2マルチチャネル音響のすばらしさは、なかなか文章では伝わりません。8KパブリックビューイングやNHKの8K展示場等で、22.2マルチチャネルを聴く機会があれば、ぜひオーケストラの熱演やホールのリアルな残響を体験してください。今後も引き続き22.2マルチチャンネル音響の制作を行い、臨場感のあるコンテンツを届けていきたいと思います。

参考文献

執筆者プロフィール

島㟢砂生(しまざき すなお)
日本放送協会 放送技術局制作技術センター 制作技術部
1992年、NHK入局。音楽番組の収録、ミキシングに従事。クラシック音楽の5.1chサラウンド収録や、22.2マルチチャンネル音響制作を行っている。