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JASジャーナル目次
2026summer
個人会員に聞く!
第14回 松岡文啓氏
インタビュアー 末永信一
(日本オーディオ協会 専務理事)

2026年の4月から、JASジャーナル編集委員会の委員長が吉田穣さんに交代することとなり、ここまで委員長を務められました松岡文啓さんには、ぜひ卒論を書いてくださいね!とお話ししていたのですが、本業が忙しくなり、それどころではなくなったとのことでしたので、個人会員に聞く!にご登場いただく運びとなりました。松岡さんのパーソナリティーや、委員会の雰囲気も感じていただけたら幸いです。
はじめに
末永)長らくJASジャーナル編集委員会の委員長をお務めいただき、ありがとうございました。
松岡)以前から末永さんには、還暦も超えたし、そろそろ若い人にバトンを渡したいと相談していたのですが、もうちょっと!もうちょっと!と説得されまして、一年くらいやりましたかね。でもいよいよ三菱電機を退社しましたし、委員長を継続することが本当に難しくなったので、後任の方を決めていただきました。
末永)2018年9月号から2026年冬号までをご担当ですので、約7年半。ほんと、ご苦労もたくさんあったと思いますが、今日はその辺の話も伺わせてください。
松岡)7年半、そんなにやってましたかね。
末永)私が専務理事に就任した頃の理事会の中で、各委員会活動の担当理事を決める議案があったのですが、小川会長が唐突に、「JASジャーナルの編集委員長についてですが、これまでやっていただいた松岡さんはこのたび理事を退任されましたけど、松岡さんが編集委員長を継続してやりたいと希望されているのよ~」と発言されて、その頃、私は松岡さんのことをあまり知らなくて、へー、奇特な方がいらっしゃるものだなぁと思って話を聞いていたら、「せっかくなので、やらせてあげたいの!」と会長が念押しされて、理事の皆さんも、誰も反対するわけもなく、やっていただくことなりました。
松岡)せっかく光栄なお仕事をさせてもらったのに、たった2年で辞めるのもなんだなぁと思ったし、ここで辞めて混乱させるのもなぁと、わがままを言わせてもらいました。すみません。
末永)いえいえ、すごいモチベーションだと感心しておりました。
松岡)この頃はコロナウィルスが流行り始めて、みんなに集まってもらうことができなくなり、オンラインで会議をするようになったわけですが、初めは慣れないこともあって、なかなか大変でしたね。
末永)ほんとですね!それと、当時はなんだかシステムトラブルも多くて、苦労しました。
松岡)各社が標準にしているオンラインミーティングツールがバラバラで、委員会をどのツールでやるのがいいんだ?という調子でしたね。
末永)確かに!Zoomが簡単でいいんですけど、当初はZoomを使えない企業も多かったので、職員の秋山くんがTeamsとZoomをブリッジさせる仕組みを編み出したり、色々と工夫して、やってましたね。
松岡)あれは今思ってもすごいことだと思います。
末永)この前、秋山くんと、コロナの頃はカメラやマイクを買ってきては、オンラインでの画質や音質がどう??とお互いに確認しあってたね!と話していたのですが、新しいもの好きには、そんなことで楽しんでいたなぁ、と懐かしくなりました。
松岡)空気録音なんて話題もありましたよね。
末永)空気録音の実験もやって、記事にしましたね。気が付かない発見もありました。やっぱり、こういう時代だからこそのネタを探してきて、発信していこうと必死でした。
松岡)いつも末永さんが前向きに引っ張っていただき、ありがとうございました。
末永)いえいえ、委員長が立派だったから、いいチームワークができていたと思います。感謝しています。
オーディオが好きになったのは? 思い出の製品など
末永)また後で、JASジャーナルについては振り返るとして、このコーナーでは、出ていただく皆さんのオーディオ愛や音楽との関わりについて、深掘りすることをいつもやっていますので、そういうお話を聞けたらと思うのですが。
松岡)父がレコード会社に勤めていたこともあって、生まれた時から家にオーディオがありました。もちろん、たくさんのレコードやカセットテープも家にありましたし、自然と音楽が近くに存在していましたね。
末永)それは羨ましい環境にお育ちになりましたね。
松岡)自分からオーディオというものを意識したのは、小学生の時に「ラジオの製作」を読み始めて、ラジオを作ったりし始めたことですかね。
末永)小学生で??漢字が読めないと理解も大変だったでしょうに。
松岡)なんとなく理解できていましたね。当時広島に住んでいまして、今のエディオンになる第一産業という電気屋さんのパーツセンターに行くのが楽しみでした。
末永)半田コテも握っていたわけですよね。何年生くらいですか?
松岡)3~4年生くらいですかね。あちこち火傷したり、畳を焦がして怒られたりしましたが、自分で作った物から音が出てくるというのは、嬉しいものでした。
末永)それは大したものだ。
松岡)そうこうしていると、BCLのブームが来て、クーガー2200を買ってもらいました。
末永)クーガーと言えば、ジャイロアンテナ!
松岡)はい、そうです。壁に、外付けのアンテナを張ったりもしていましたね。
末永)ベリカードを集めたりしましたか?
松岡)海外まではやりませんでしたが、東京のキー局はもちろん、北海道や九州の放送局を受信して、レポートを書いて送って、ベリカードを手にしていましたね。
末永)やっぱり、世代ですね(笑)
松岡)たまたま隣に、1級アマチュア無線を持っている人が住んでいまして、ハイパワーで出力しているものだから、ラジオに飛び込んでくるわけですよ。レコードの針先から飛び込んでくることもあるわけです。
末永)あああ、なるほどー。
松岡)それで、ちょっと訪ねて行ったら、興味あるの?って話になって…。
末永)ミイラ取りがミイラになるんだ(笑)
松岡)いろいろ教えてもらったりしましたね。
末永)それは素晴らしい!
松岡)中学生の時に一時期、福岡に住んでいましたが、カホ無線のパーツセンターにもよく通いました。
末永)国体通りのね!私もよく行ってた行ってた!2階がパーツセンターでした。
松岡)はい、そうでした。
末永)場所はちょっと違うんですが、カホパーツってお店が今でもあるんですよ。ああ、そうかぁ!松岡さんは私の4つ年下だから、私が高校生でその辺りをぶらついていた時期とかぶるんですね。
松岡)中学高校の頃は、スポーツに熱中していたので、工作熱はちょっと下がりますが、初代ウォークマンを買ってもらって、肩掛けストラップで学生服の下に忍ばせて音楽を聴きながら通学の電車に乗っていましたね。
末永)初代??それは羨ましいなぁ。
松岡)大学生の時には、CDが発売されまして、それはそれは、鮮烈な驚きでしたね。
末永)ちなみに、どの辺りが?
松岡)静寂なところからバ~ンと音が出てくるDレンジの広さとか。
末永)そうでしたよね。どんな音楽を聴いていましたか?
松岡)いろいろですね。甲斐バンドとか、長渕剛とか、オフコースやユーミンも聴いていたし。
末永)洋楽は?
松岡)洋楽も聴いていましたよ、小学生の頃はビートルズやらベイ・シティ・ローラーズ、オリビア・ニュートン・ジョンなんかを。中学・高校になるとジャーニーとか、YMOとか、高中正義とか、FMラジオで。
末永)そういう番組が多かったですからね。
仕事としてのオーディオとの関わり
末永)ちなみに、大学の専攻はオーディオに関係したりするんですか?
松岡)いや、情報理論で、いわゆる応用数学ですね。
末永)そうなんですね。
松岡)その後、三菱電機に就職しまして、データ圧縮の研究に携わりました。音声符号化です。
末永)ここでオーディオ技術者への道がスタートするわけですね?
松岡)いえいえ、これは通信用途で、後に携帯電話で役に立つんですが、そういう技術でした。
末永)携帯電話がデジタル化するのって、何年頃でしたっけ?
松岡)一般的には、1994~5年だと思います。まだ通信容量もメモリ容量も小さな時代ですから、圧縮技術は非常に重要な時代でした。
末永)あ、確かにそう。上の娘が産まれた時に数日休みを取らせてもらったのですが、職場と連絡を取らないといけないから、初めて携帯を買ったのでした。
松岡)この頃は働いていて、気が付いたら朝になっていたなんてことが頻繁にあるような時代でした。
末永)ほんと、そんな時代でしたね。
松岡)実は就職してすぐにですが、隣の組織の課長で、後に自分の部長になる方ですが、オーディオ大好き人間で、その人に気に入られて、よく話し掛けてもらいました。今思うと、この人の影響は大きいですね。
末永)なるほど、人生って、そういうものですよね!私にもそういう出会いはありました。長くなるので、私の話はしませんが(笑)
松岡)2000年代になりますと、携帯電話が3Gという世代になるわけですが、そのアプリケーションの一つに「着メロ」があり、誰か音響が分かる奴おらんか??そういうの好きな人間ならおるやろ!って感じで、私がそのチームに組み込まれました。
末永)あのサイズでいい音にしようというのは、データ処理でいい音にすることよりも、ケースの設計やスピーカーの取り付けなんかの方が支配的な気がしますね。
松岡)まさにそうなんですよ。いろいろな苦労がありました。受話再生周波数特性のシミュレータなんかも内製して、今でいうCAE(Computer Aided Engineering)的な事もやってました。
末永)あの頃、三菱電機の携帯電話は、評判良かったという記憶があります。
松岡)けっこう売れたんですが、競争も激しかったですからね。
末永)確かに。一気に価格競争になっていたので、大変だったでしょうね。
松岡)三菱電機は、2008年に携帯電話事業から撤退するわけですが、
末永)ただでさえ日本の携帯事情はガラパゴスとか言われて、徐々にスマホへと重心が移っていくことになりますしね。
松岡)その後、私はカーオーディオやテレビの仕事を始めるわけです。2011年から丸2年だけですが、カーナビゲーション、カーオーディオ製品をやっていた、三田製作所に勤務しました。
末永)ちなみに、DIATONEスピーカーは、いつ事業撤退したんでしたっけ?
松岡)1999年ですね。DIATONEの技術はその後、カーオーディオとテレビのスピーカーに継承されていきます。
末永)なるほど。
松岡)私が三田に勤めるようになった時期に、まだ佐伯多門さんも三田製作所におられましたし、オール三菱で画や音の技術を持つ組織を束ねたメディア技術部会の音声・音響専門部会というプロジェクトの主査をさせていただき、せっかくここまで頑張って積み重ねてきた技術を簡単に捨てるのはもったいないと、奔走していました。
末永)三菱電機も大きな会社ですから、色んな事業所に様々な技術が点在していますよね、きっと。それを束ねられたら強いでしょうね。
松岡)バーチャルサラウンドのような信号処理もこの時期に研究が進みました。

メディア技術部会の懇親会の写真
一番奥の左が佐伯多門さん、右が松岡さん
オーディオ協会との関わり
末永)松岡さんがオーディオ協会と関わりを持たれたのは、いつ頃からですか?
松岡)三田に勤務する直前まで、中西康之さんが所長だったのですが、メディア技術部会を三田で開催する際など、中西さんにはよく面倒をみてもらいました。中西さんがオーディオ協会の理事をされていたので、たまに代理で理事会に出席したりしたことからですね。
末永)中西さんも、だいぶ長く理事を勤めておられたようですから、なんやかんやで15年とかでしょうかね。
松岡)そうなりますかね。中西さんの前の佐伯さんはもっと長いと思います。
末永)あ、確かに!多門さんは無茶苦茶長いです。確か24年されてたとおっしゃってたかな。それで、松岡さんが理事になられたのが、2018年の6月で、それと同時にJASジャーナルの編集委員長に就任されたわけですね。

編集委員長に就任されて最初に発行したJASジャーナル(2018年9月号)
松岡)小川さんが同じタイミングの2018年の6月に新しくオーディオ協会の会長になられたわけですが、組織の若返りを計るということで、ガラッとメンバーが変わりました。
末永)そうなんです。当時の資料を見ると、春井さんと大久保さん以外、編集委員もみんな交代されて、これは大変だったでしょ??
松岡)伝統あるJASジャーナルの名を汚してはいけないと、やっぱり緊張感がありましたね。
末永)オーバーラップの期間もない感じですか。
松岡)まったく!査読付き論文誌なんだということ以外、ほぼ引き継がれたこともないし、一方で、小川会長は時代の変化に合わせて色々変えていきたいとおっしゃるのですが、どうされたいのか、当時はよく分かりませんでした。
末永)そうだったんですね。でも、私が関わるようになった頃に、すでに編集委員のみなさんのベクトルがすごく合っているなと感心したのですが、コロナ前は飲み会とか多かったですか?
松岡)やっぱり、その春井さんや大久保さんと飲む機会は多かったですね。春井さんは高校の先輩でもありますし。その後、加藤さんもその輪に入ってきて、よく協会の近くの街中華でメガ・ハイボールを一杯やってから帰ってました。
末永)その頃は、まだ私はソニーで働いていた時期なので、そんなご苦労も知らず、寄稿を依頼されても、何も気にせず書いてしまっていました。すみません!
松岡)いえいえ、その後末永さんが専務理事になられてから、ようやく方向性が見えてきたように思います。
末永)多分、それは小川さんも協会に慣れてきたのと、小川さんは私には色々と遠慮なくおっしゃるので、皆さんにもメッセージが伝わるようになったのかもしれません。
松岡)お二人が未来に向けて舵切りされているのが手に取るように分かりました。
末永)ま、諸先輩たちが真面目にやってこられた伝統は大事にしないとと思いながら、でも、変えないことが伝統を守ることではないと思うのです。
松岡)その辺は、今の編集委員のみんなが良く理解しているところかと思います。
末永)専務理事になってすぐに寄稿させていただいた文面で、「もっと音楽談義をしたり、呑気な時間がたくさんあるのかと思っていましたが、そう世の中甘いものではなかったようですねぇ(笑)」と書き出したことに、ソニー時代の先輩から、ふざけんな!とお叱りを受けたんですよ。
松岡)あら、そんなことありましたか。末永さんらしくていいと思いますけどね(笑)
末永)私の性格もよく分かっている先輩なので、そういうことは、400文字以降にしなさいと(笑)
松岡)なんと!(笑)
末永)まあ、なんだかんだで、顔を合わせたり、飲みに行って言葉を交わすというのは大事なのかなとコロナ禍を経て思うようになりましたね。
松岡)今はオンラインが基本になっていますが、以前は協会にみんな集まってきて、黙々と査読したりしていたんですからね。
末永)そうでしたね。時代の変化を感じます。2年経ってようやくリアルにお会した委員さんもいましたからね。
松岡)必然的に、飲み会もありませんでしたし(笑)
末永)最近は忘年会など飲み会をやる時には、協会に集まる感じですね(笑)
松岡)そうなっちゃいましたね。
末永)だいぶ前の話ですが、その飲んでる時に、こんなことを話題にしたんですね。ちょっとでも効率的にしようと思って、査読前に筆者と2~3回推敲を繰り返しているんですけど、完成度を上げるのって、なかなか大変なんですよ~と私がボヤいたら、以前の査読時の原稿の出来栄えとまったく違うので、そういうことをやっていただいているのだろうなと思っていました、と松岡さんが言ってくださったので、すごく報われた気持ちになりました。
松岡)以前は、査読の場で細かなチェックをしないといけなかったもので、きっと末永さんたちが事前にやってくれているんだろうなと分かっていました。
末永)それでも、査読を行うと、なるほど!というご指摘をまだまだ頂けるので、皆さんの熱意は、本当にありがたいですよ。
松岡)ここにこだわるか!みたいな指摘もありますね(笑)。なかなか楽しい委員会です。
末永)私が専務理事になってすぐに、ホームページをリニューアルしようと構想を始めたのですが、当時のホームページは、見た目にも古臭かったし、情報のウィンドウがスマホになってきている時代なのに、レスポンシブデザインに対応していないという状況だったので。
松岡)そうでしたね。
末永)やるなら全面的に作り変えていかなきゃいけないんだけど、初めてチャレンジすることが多いので、まずはJASジャーナルを手始めにやってみようということにしたんですよね。
松岡)何回も話し合いをしたことを覚えています。
末永)JASジャーナルを、そんなプロトタイプにしてくれるな!と言われるかと思ったら、快く、やりましょう!と同意していただいて、懐の深さに感謝したものです。
松岡)そうでしたかね。でも、それは正しい選択だったと思います。
末永)当然、ホームページのリニューアルを見据えながら、意思決定しないといけないから、様々な相談をさせていただきました。
松岡)それこそ、毎度毎度A案、B案、C案と提示するのも、大変だろうなぁと思っていました。
末永)本当に大変なのはデザイナーさんで、私は〇〇みたいな世界観を描いてください!って頼むだけなので。
松岡)そんな簡単な話じゃないでしょ。
末永)あ、小川会長の要求レベルが高くて、それを実現しようというのは、大変だったかな?!(笑)。音が聞こえてくるようなデザインがいいとかおっしゃるもので…。
松岡)そういうお話もありましたね。でも、それは真っ当なご意見ですよ。従来のJASジャーナルを意識したクラシカルなデザインもありましたが、明るくカジュアルなデザインとの比較をして方向性を議論した覚えがあります。
末永)それで、小川会長がそうおっしゃるなら、この方向で行きましょうと松岡さんが言ってくださって。
松岡)確かに、そう言ったなという感覚はあります。
末永)委員の皆さんから反発を食らうかなと思っていたら、松岡さんがさっと、こう口にされたので、すんなりと委員の皆さんにも合意されました。
松岡)せっかくなら、この雰囲気に合う、編集方針にするべきだと思いました。
末永)はい、そういうこともおっしゃって、素晴らしい判断ができる編集長さんだと敬服いたしました。それで、2020年11月からHTML化したんですよね。
松岡)つい最近の話のようで、もう5年以上になるんですねぇ。
末永)いや~、専務理事に就任して、たった半年でHTML化を実現できたのは本当にラッキーだったと改めて思います。
松岡)スマホで見られるようになって、通勤電車の中でも読めますし、本当に読みやすくて便利になったと思います。大きく踏み出せたと思います。
末永)はい、大進歩でした!
次世代に期待すること
末永)2027年が協会創立75周年になるわけですが、その時期の記念号に向けて委員の皆さんとディスカッションしたいと持ち掛けたら、委員会とは別枠で若い人たちに未来を語ってもらう号にするといったアプローチはどうだろうか?というご意見を松岡さんから頂きまして。
松岡)好き勝手なこと、言いましたね~、すみません!
末永)いえいえ、ちゃんと人材育成とか、ある意味、教育的観点だとか、協会が大切にしなければならない仕事も考えていただいていて、素晴らしいなぁと。
松岡)私は単に思い付きで口にしているだけですが、末永さんはそういう話も真面目に考えて、人をアサインしたりするところが、さすがだといつも感心しています。
末永)ありがとうございます。せっかくやる気をみせてくれる若い人には、チャンスを与えていくべきと思いますし、そういうことで、結果的に世の中が少しでも明るくなったらと思うのですよね。
松岡)本当に、そうなって欲しいと思います。
末永)松岡さんは、休みの日には少年野球の指導などもされているようですが…。
松岡)審判員ですね。
末永)小さい頃から野球をやられていたんですか?
松岡)そうですね。周囲にちゃんと基礎を教えてくれる人達がいたんです。それが本当に良かったと思っています。なので、今度は私がそちらの側で、子供たちに伝える側で貢献しようと。
末永)なるほど、そういう出会いは大事だと思っていて、昔はキャッチボールの相手をしてくれるような世話好きなおじさんがけっこういたり、面倒を見てくれたものですが、特にオーディオ界隈に、そういう優しいおじさんがいたら、もうちょっと青少年のオーディオファンが健全に育つのではないかと思ったり…。
松岡)そういう環境も必要かもしれませんね。昔は色々なことを教えてくれる人がまわりに大勢いたように思います。
末永)協会も「音育」というキーワードで、いい音の楽しみ方の普及を啓発していきたいと準備しているところなんです。個人会員の皆さんには、いろんな意味で関わって欲しいなぁと思っている次第です。
松岡)音育、いいですね。
末永)松岡さんから編集委員長のバトンを渡された吉田さんも、すごく張り切っていますし、彼はまだ40歳ということですが、その頭の柔軟性に本当に驚かされるばかりで、引き受けてくれてありがたく思っています。
松岡)ほんと、そうですね。感謝しています。
末永)この前の総会の後の懇親会で、何かPRしたいことをお持ちの方は、前に出てきて!と言ったら、吉田さんが前に出て来てくれて、JASジャーナルの投稿を!って宣伝してくれてました。ほんと真面目だなぁ!と微笑ましくなりました。
末永)今、過去のJASジャーナルのアーカイブのページについても、着々と準備を進めておりますし、そういう資産の中から、また面白い発見もあるんじゃないかと思っているんですよね。
松岡)今は、人が読まなくても、AIに読んでもらうことで、世の中の役に立つという側面もありますから、そういうことを目標にするというのも、意味のあることと思います。
末永)松岡さんの発想も、まったく錆びてないですから、これからも個人会員として、協会ないしはJASジャーナルにも貢献してください。
松岡)はい、どこまでお役に立てるか分かりませんが、関わり続けたいと思います。
末永)ありがとうございます。
松岡)先日、OTOTENのプレミアムデーに参加させてもらいました。夕方から来場したのですが、人数が限定されて落ち着いて聴けるというのは、いい試みです。いろいろ考えておられるなぁと感心しました。
末永)ありがとうございます。参加された皆さんや出展社の方々には非常に満足度が高いのですが、まだ我々の考えるプレミアムの意味合いを伝えきれていないので、これからその辺ももっとPRしていかないとと思っています。
松岡)加藤理事に手招きされまして、吸い込まれるようにESOTERICさんのブースに入りましたら、OPUS 1を一人で聴かせてもらいまして、めちゃ贅沢な気分でした。
末永)それはラッキーでしたね!
松岡)75周年に向けて、またその先の未来に向けて、いろんなチャレンジをされますこと、しっかりと応援していきたいと思います。
末永)個人会員として、気付きがありましたら、遠慮なく言ってください。
松岡)はい、分かりました。
末永)今日は、お忙しい中、お時間を頂き、ありがとうございました。
松岡)こちらこそ、ありがとうございました。
最後に
いつも冷静沈着であり、オーディオ愛が深く、また頭の回転の速い松岡さんでありますが、いったん仕事を離れると、特に飲みに行ったりすると、とてもにこやかで冗談もよく口にされ、そんな時も頭いいなぁと思うことが多くて、本当に楽しくて頼りになる方です。今回のインタビューで、そういう会話の楽しさが表せていたら幸いです。
三菱電機という大きな組織において、音に関する技術ネットワークをまとめられたり、やはり、そういったマネジメントの極意を極めてこられた方だけに、JASジャーナル編集委員会においても、なるほど!確かに!と納得できる言葉をいろんなシーンで聞くことができました。また驚くほどの几帳面さに助けられたなぁと、改めてその背景を知って、感慨深いものがありました。ここまでの委員長としての貢献に感謝いたします。
個人会員プロフィール

- 松岡文啓(まつおか ぶんけい)
1964 年、名古屋生まれ
親の転勤のため全国各地で子供時代を過ごす
大学進学と同時に上京。以来、東京、神奈川暮らし
1992年〜2026年、三菱電機株式会社に勤務
現在は某独立行政法人に勤務
筆者プロフィール

- 末永信一(すえなが しんいち)
1960年、福岡市生まれ
2019年、ソニー株式会社退社
2020年6月より、日本オーディオ協会専務理事に就任







