2022summer

「OTOTEN2022」
Live Extreme実施レポート

サウンドエンジニア・プロデューサー 峯岸 良行

概要

「OTOTEN2022」において、セミナー会場から、株式会社コルグの「Live Extreme」を用いて、ハイレゾ・オンラインライブ配信を行いました。ハイレゾ収録に適したマイクロホンを8本使用した「ORTF-3D」方式によるマイキングとスポットマイク収録の組み合わせを使用し、「スピーカー視聴用ミックス」「ヘッドホン用3Dイマーシブミックス」の2種類のミックスを配信しました。本稿では会場の雰囲気をリアルに伝えるために実施した様々な工夫を紹介いたします。

ABSTRACT

At OTOTEN2022, a live online streaming from the seminar room was conducted in high-resolution audio using a combination of spot microphone recording and mic-setting using the ORTF-3D method with eight microphones, suitable for high-resolution recording and Korg’s Live Extreme. It broadcasted Two types of mixes “mix for speaker listening” and “3D immersive mix for headphones”. The following is an introduction to our efforts to convey the atmosphere of the venue in a realistic way.

1. はじめに

6月11日(土)・12日(日)の2日間、東京国際フォーラムで開催された「OTOTEN2022」のセミナー会場から、KORG「Live Extreme」を用いてオンラインライブ配信を行いました。各セミナーは好評につき予約は全て満席となり、希望のセミナーを予約できなかった方や、OTOTEN2022に来場することができない方のために、会場の雰囲気を気軽に体験していただくことを目的に実施いたしました。

近年、「空気録音」といわれるコンテンツがYouTubeなどを通じてオーディオ愛好家の間でも徐々に認知されつつあります。オーディオ機器についてのセミナー配信という音質が重要視されるコンテンツにおいて、ハイサンプリング非圧縮ストリーミングフォーマットである「Live Extreme」を使用し、より臨場感のある、高品質配信プラットフォームにふさわしい音質で視聴者の皆様に楽しんでいただけるように、実験的要素を取り入れ、取り組み自体が興味深く楽しめることを主眼においたシステムを検討しました。

2. 今回の空気録音収録システムについて

2.1 コンセプト

空気録音というジャンルにおいて、通常はABステレオもしくはXYステレオの2チャンネルのマイクを使用して収録することが一般的でありますが、マイクとスピーカーが設置された部屋の壁面や床天井からの反射による影響が支配的となって、音響機器そのものの音質評価に必要な情報量を十分に得られないことがあると考えられます。その微妙なオーディオ機器そのものの個性が生み出す独特な音質、オーディオアクセサリーやケーブルなどがシステムの音質に与える細かな影響、それによって得られる音の質感を視聴者の皆様にお伝えするために、クラシック録音などで一般的な、メインマイクに対して不足する情報を付加するための『メインマイクプラススポットマイク』という収録方法を空気録音に取り入れることを考えてみました。

視聴者の皆様にも会場の雰囲気をよりリアルに味わっていただけるように、ハイレゾ収録に適したマイクロホンを使用することと、メインマイクには360度全方位から到達する音を余すことなく収録することが可能な3Dマイク方式の「ORTF-3D」方式を採用し、さらに、この「ORTF-3D」方式と合わせて、タイムアライメントを施したスポットマイクをミキシングすることにしました。

これらはセミナー配信や空気録音コンテンツの収録方式としてはあまり一般的ではありませんが、個人的に実験的な要素を含めたいと思い、日本オーディオ協会の末永専務理事にこのような取り組みをしたいと申し出たところ、快く受け入れていただき、数々のご協力をいただきました。

2.2 収録システム

システム全体のサンプリングレートとビットデプスは96kHz/24bitとしました。メインマイクはソニー製のマイクロホン「ECM-100U」を8本使用して「ORTF-3D」方式を構成しました。スポットマイクにはソニー製の「ECM-100N」を使用して、L/Rのスピーカーの音響軸上に近接配置しました。メインマイク直下にRME社のマイクプリアンプ「12Mic」を設置し、これで全てのマイクのA/D変換を行い、同じくRME社の「Digiface Dante」でDante変換を行いました。これによりアナログマイクケーブルの引き回しによる音質劣化を気にすることなく、全てのマイクをイーサネットケーブル1本で敷設するだけで、会場後方の録音配信ブースまで多チャンネル音声を伝送できるようにしました。

音質調整とイマーシブ音声生成のためのプラグインをホストとして、M1 MacBook Pro上で動作する「Pro Tools Ultimate」を使用しました。メインマイクの8チャンネルのオーディオ信号は一旦、「plogue bidule」上で動作するVSTプラグインの「IEM Plug-in Suite : MultiEncoder」を使用して3次アンビソニックに変換し、「IEM Plug-in Suite : AllRADecoder」バイノーラル/ステレオ化処理をしました。

2.3 3Dマイク

メインマイクは、セミナー会場客席の通路中央に設置するため、コンパクトさを重視した結果、本来の「ORTF-3D」方式は8本のスーパーカーディオイド指向性マイクを使用することで、近接配置したマイクアレイでもより高いチャンネルセパレーションでの収録を目的とした設置方式ではありますが、今回の取り組みにおいては単一指向性マイクを使用しました。

単一指向マイクロホンを使用して十分なチャンネルセパレーションが得られるかどうか事前に実験したところ、上下方向のマイクの相関性が低音域においてやや高く、相関性の低い高域に比べて相関性の高い低音域のレベルがマイクの本数分加算されて上昇する傾向が見られました。その低域の上昇をイコライザー「FabFilter Pro-Q 3」によって補正することで、ふさわしい周波数特性を得ることができました。

2.4 スポットマイクへのタイムアライメント

音源から離れたところに設置されているメインマイクに対して、音源に近接して配置されているスポットマイクはその距離差の分だけの時間差が生まれます。この時間差のある複数のマイク収録音源をミキシングするとコムフィルタ効果やディレイ効果など、音楽にとってふさわしくない効果を生む可能性があります。それを回避するために複数のマイクの到達時間を揃えるタイムアライメントを実施しました。セミナー内容によってスピーカー位置が異なったり、スポットマイクの設置位置が微妙に変化することが予測されたため、その都度相応しいディレイ値を更新する必要があります。そこで今回は「MeldaProduction : MAutoAlign」DAWプラグインを使用して自動でタイムアライメントを行いました。

2.5 イマーシブ音声の信号処理

「ORTF-3D」方式の8本のマイク信号をステレオ音声に変換する信号処理経路をあらかじめ検討しました。当初はDAW仮想バスを介して「IEM Plug-in Suite : MultiEncoder」で3次アンビソニックに変換、「IEM Plug-in Suite : Simple Decoder」でステレオ音声に変換する予定でしたが、この処理には100ms以上の時間が必要で、これでは映像と音声の時間軸を合わせる「リップシンク」が取れないということで断念しました。

そこで、より低レイテンシーのプラグインに変更し、「Blue Ripple Sound : O3A Panners」で3次アンビソニックに変換し、「Penteo 16 Pro」を使用してステレオ音声に変換することにしました。この処理はDAWの処理バッファサイズ分の遅延時間内で行うことができます。

2.6 ミキシング

「スピーカー視聴用ミックス」「ヘッドホン用3Dイマーシブミックス」の2種類のミックスを作成は「Pro Tools Ultimate」のミキサーを使用して作成しました。「スピーカー視聴用ミックス」はステレオですので、空気録音用の2本のマイクとスピーカー近接収録のスポットマイク、セミナーにご登壇いただいた方々のお話しを会場内に拡声するワイヤレスマイクからの音声を、オーディオインターフェース経由でM1 MacBookProに入力し、登壇者によって異なるワイヤレスマイクの音量や、デモ内容によって異なる空気録音の音量をラウドネスメーターを見ながら一定の配信音量に相応しいバランスとなるように調整しました。

一方、「ヘッドホン用3Dイマーシブミックス」は、「ORTF-3D」方式の8本のマイク信号を
「Blue Ripple Sound : O3A Panners」で3次アンビソニックに変換、「Penteo 16 Pro」を使用してステレオ音声に変換しました。それ以降はステレオと同じようにスピーカー近接収録のスポットマイク、セミナー話者の音声を相応しいバランスになるように調整しました。

3. セッティングと当日の進行

今回の取り組みでは、音声系統はDanteネットワークを使用して伝送することにしたため、マイクをセッティングして、イーサネットケーブルを敷設するだけでセッティングを完了することができました。レイテンシーを最小にするためにPro Toolsに設定したバッファサイズは256サンプルでしたが、配信が始まるとCPUがスパイクする現象が起こり、配信中盤からはバッファを1024サンプルにあげたところ、このCPUスパイク現象は治りました。

また、視聴者の皆様に安定した音量で提供するために適宜レベルを調整しました。マスターフェーダーにインサートしたラウドネスメーターを見ながら、フェーダーで調整を行いました。セミナー登壇者は会場のワイヤレスマイクを使用しましたが、途中、大きな音声で歪む不具合が発生して、肝を冷やしました。

4. まとめ

今回の配信をご覧いただいた視聴者や関係者の方々にとても喜んでいただけたことを大変嬉しく思います。なかには「素晴らしい高音質で、初日のアースケーブルの比較試聴のシーンでも、各社の違いがしっかりと聞き取れて興奮しました」などの大変ありがたい感想も頂戴しました。非常に微細な情報を、会場にいるかのような臨場感でお客様にお届けすることができたことは、このシステムの目標を達成できた証であると思いました。

末永専務理事からは、「セミナーの時間に間に合わなかったので、Live Extremeを新幹線の中で観ながら会場に来たというお客様がいらっしゃったよ!」とのお話も伺い、イベントとして大変意義のある取り組みだったのだと誇らしく思いました。

また、B1FのフロアにはこのLive Extremeのパブリックビューイングスペースが設けられ、立ち止まって観ていかれる方もたくさんいらっしゃったそうです。

最後に、機材貸与のご協力をいただきましたソニー株式会社様、株式会社シンタックスジャパン様、一緒に配信業務に取り組んでいただいた株式会社コルグの皆様にも改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

執筆者プロフィール

峯岸 良行(みねぎし よしゆき)
2005年、初のプロデュース作品がコカ・コーラのCMに抜擢され、J-POPチャートで1位を獲得。作曲家としてLittle Glee Monsterや桜坂46などのアイドルグループの作品に携わるほか、トヨタ、三菱、JT、任天堂などの広告音楽も手がける。
2012年からprime sound studio form所属エンジニアとして活動、ミックスエンジニアとして多くのアーティストの作品に携わる。またイマーシブサウンドテクノロジーをいち早く取り入れ、映画や舞台の3Dサウンドを制作してきた。近年はミキシングの経験を生かし、音楽スタジオの音響や音響機器の調整も行う。名古屋芸術大学サウンドメディア・コンポジションコース非常勤講師。