2022summer

「OTOTEN2022」
70周年記念展示コーナー

専務理事 末永 信一
個人会員 角田 直隆

概要

今年2022年の10月で日本オーディオ協会は創立70周年を迎えます。1952年12月4日にOTOTENの前身である「全日本オーディオフェア」が初めて開催されていますので、「OTOTEN2022」は、まさに70周年の記念開催となりました。このたびOTOTEN2022の入場ゲートをくぐり、来場チェックを終えたところに、OTOTEN70周年記念特別展示コーナーを設置し、たくさんの来場者の皆様にこれから紹介するパネル展示と第一回全日本オーディオフェアで行われたラジオを2台使ったステレオ体験の再現デモをご覧いただきました。

ABSTRACT

This October 2022, JAS will celebrate its 70th anniversary. The first “All Japan Audio Fair”, the predecessor of OTOTEN, was held on December 4 1952, the same year with JAS foundation. As a part of these series of celebration, we set up the 70th Anniversary exhibition near the entrance gate of OTOTEN2022.

1. 背景

私、末永が専務理事に就任して以来、どうして日本オーディオ協会が創立されることになったのだろうかと色々な資料に目を通しながら理解を深めてきました。それぞれが断片的な情報として存在するので、私の理解をまとめた形でここで語ることになりますが、きっかけはソニーを作られた井深大氏が1952年3月に市場調査のために渡米されたことに始まります。この出張は3か月にも及ぶものだったそうですが、その際にシカゴのホテルで行われていたオーディオフェアに立ち寄られ、初めてステレオ再生を体験されたそうです。

非常に立体的に聴こえるということに感銘を受けられて、帰国後にオーディオ仲間の皆さんに声を掛けて回られ、これからオーディオの世界が変わるから、皆で勉強しようとスタートしたのが協会の前身である日本オーディオ学会(1年後に日本オーディオ協会へと改称)で、これが1952年10月4日の話になります。また、シカゴで見たオーディオフェアにも感化され、業界全体で展示会をやろうじゃないかと始められたのが、OTOTENの前身である全日本オーディオフェアであり、この第一回が開催されたのが1952年12月4日でした。

その第一回全日本オーディオフェアでは、ラジオを2台並べてNHKラジオ第一放送と第二放送から、それぞれLch、Rchの信号を流して、来場者が初めて「ステレオ体験」をするということが行われたそうです。以来、様々なオーディオ技術の進化・発展がありましたが、その進化・発展をいち早く体験できる場として、たくさんの方々にワクワクを与えてきたのが、日本オーディオ協会ならびにOTOTENの歴史でした。

70年前、日本にまだステレオという概念が無かったのか……。それはビックリしただろうなぁと思い、そのワクワクの原点を広く知ってもらって、その後の技術発展についても見ていくと、とても懐かしく楽しい話がいっぱいあるので、これらの話題を70周年の記念展示にしていきたい!と準備を進めてきました。

職員一同にとっても、「OTOTEN2022」は原点に立ち返り、来場者にワクワクを感じてもらう場、皆さんに笑顔で帰っていただける展示会を目指そう!という、とてもいい原動力になりました。後半ではラジオ2台による「ステレオ体験」の再現を手伝ってくれた個人会員の角田直隆氏に執筆してもらいましたが、前半はパネル展示の内容について、末永から報告したいと思います。このパネルの制作にあたり、メーカー各社の広報の皆様には大変なご協力をいただきました。心より感謝申し上げます。

2. 展示パネル

先にも述べたように、入場ゲートの近くに日本オーディオ協会創立70周年記念特別展示を行いました。

パネルの内容としては、創立以来の70年を10年毎に区切り、その当時のJASジャーナルの切り抜きや、その頃の世の中のトピックスを掲示するとともに、流行した製品やヒット曲について記載しました。

2-1. 1952年~1961年

日本オーディオ協会が創立された頃は、民放ラジオ局が開局されたり、テレビ放送が開始されたりと、ようやく平和な時代と共に新たなエンタテインメントの幕開けを迎えた時期だったと言えるのでしょう。LPレコードのステレオ化は1958年ですから、1952年の「全日本オーディオフェア」で行われたステレオ体験は、非常に画期的なイベントだったと思われます。また、1955年に発売された日本初のトランジスタラジオ「TR-55」は、トランジスタを民生品へ応用することを加速させるきっかけとなる商品となりました。

2-2. 1962年~1971年

1964年の東京オリンピックを契機に、カラーテレビが普及したという話は有名ですが、この時代はステレオのLPレコードを再生できるセパレートステレオが各社から販売され、高度経済成長期の繫栄の象徴ともなっていました。また世界的にもビートルズの登場で音楽産業が一気に盛り上がった時期だったと言えます。さらには、カセットテープの登場で、テープ録音という文化も一般化しました。この頃の「全日本オーディオフェア」は、白木屋百貨店で行われていたそうです。

2-3. 1972年~1981年

1970年代になると、コンポーネントステレオというユニットを別々なメーカーで買い揃えていくということが流行し、アンプはどこ、チューナーはどこ、といった特徴を語り合うことがオーディオ好きな人たちの会話となりました。また、ウォークマンの登場を機に、音楽を外に持ち歩くという若者文化が花開きました。アイドルの登場やフォーク、ニューミュージックといったジャンルが盛り上がり、海外のアーティストも盛んに来日する時代にもなりました。

2-4. 1982年~1991年

1982年にCDが発売されると、ステレオ機器のサイズがより小さくなり、ミニコンポという製品が流行するようになりました。また、ダビングの文化が広がり、カセットテープが2つ入るラジカセが大流行するようになりました。この時代、オーディオフェアは晴海にあった国際見本市会場で行われ、5日間で100万人が来場する人気イベントでした。

2-5. 1992年~2001年

1992年にカセットテープに変わるメディアとしてMDが発売され、また1995年にはDVDが発売されたことで、5.1chホームシアターを実現するためのAVアンプといった製品が登場してきます。世の中的にはWindows 95の登場と共に、インターネットが発達し、これに関連した様々な技術・製品が登場した時代でした。

2-6. 2002年~2011年

21世紀に入ると、インターネットがブロードバンド化し、音楽配信というサービスがスタートしました。特に携帯電話に音楽をダウンロードさせるサービスは、若者に携帯電話を普及させる原動力となっていたと言ってもいいでしょう。しかし、ブロードバンドと言ってもこの頃はADSLが中心でしたので、音源を伝送するためには圧縮する必要があり、その多くはMP3やAACといったフォーマットでした。USBやブルートゥースを使った音源の伝送もこの時期に登場しました。

2-7. 2012年~2021年

インターネットのブロードバンド化が更に進み、CDよりも大きなデータを送ることができるようになって、スタジオで制作されていた高品位な音源、いわゆるハイレゾ音源をそのままダウンロードすることができる時代が来ました。日本オーディオ協会では、このハイレゾが普及することを目的に2014年6月12日から、Hi-Res Audioロゴをライセンスすることを始めました。またこの時代は放送もブルーレイも4K化が始まり、それと共に3Dオーディオが登場してきて、各種のフォーマットに対応したAVアンプが発売されるようになりました。スマートフォンから3.5φのイヤホンジャックが無くなっていったことで、イヤホン・ヘッドホンのワイヤレス化が進み、これに伴って、ノイズキャンセリング機能を持った商品が次々と発売されました。2017年から、OTOTENは東京国際フォーラムで開催しています。

2-8. 2052年頃(オーディオ協会創立100年頃)

この展示コーナーでは、過去を振り返るだけでなく、創立100年を迎える2052年頃に、世の中がどうなっていて、その頃のオーディオ体験というのがどうなっているのかも紹介しました。内閣府で検討されている「サイバネティックアバター生活」を中心に、オーディオ・ビジュアルに関係するところをピックアップさせていただきました。家にいながら、ライブ会場にいるような気持ちにさせる技術の開発など、今以上にリアルとバーチャルの垣根がなくなっていくことが想定されているのですが、その垣根をなくすためには、やはり、より良い音や映像が必要になってくると考えられます。日本オーディオ協会はこれからも変化に適応しながら、未来につながる活動を積極的に行なってまいります、と宣言させていただきました。

3. 真空管ラジオ2台によるステレオ体験の再現デモについて

後半は、個人会員の角田直隆より報告させていただきます。

真空管ラジオ2台によるステレオ体験の再現デモ展示

3-1. 背景

GWが明けた頃、私のソニー在職時の先輩でもある末永専務理事と話をするために、日本オーディオ協会を訪ねると、OTOTEN2022のチラシのサンプルが壁に貼ってあったり、職員の皆さんが準備で大忙しの様子でした。何か手伝えることがあったらなんでも言って下さいねと言うと、「あ、そう??」と急に末永さんの目が爛々として、「OTOTENの時に君に手伝って欲しいちょうどいい仕事があるんだよ!」と話を始められました。

それは70周年記念展示パネルの説明員をやって欲しいということだったのですが、もちろんいいっすよ!と軽く引き受けたわけですが、「実はさぁ、それに加えて70年前に行われたステレオ体験の再現デモをやりたいんだよね」と言いながら、2台のクラシックラジオの形をしたワイヤレススピーカーをおもむろに取り出してきて、音を鳴らし始めました。そういう準備を着々と進められていたわけですね。

やりたいことは分かりましたが、「こんな今どきの製品で、またこんな澄んだ音で鳴っちゃうんじゃ、いにしえ感がないじゃないですか!せっかくなので、当時のモノラルの真空管ラジオでやりましょうよ!」と口にすると、「お~、そりゃいいね!」とご満悦な顔になって、とても喜んでくれたので、私もノリノリになってしまいました。昔から考えることが一致する者同士だったので、その後も話は尽きませんでした。

さて、古いラジオですから、多少の修理が必要になることは覚悟の上でしたが、その当時の、それも同じラジオを2台調達しなければならないということで、早速オークションサイトをくまなく監視することに。そして、同型のラジオ(松下電器産業製 真空管ラジオ BX-210型(*1))を落札することに成功しました!

3-2. 今回のデモシステム

本デモシステムの構成図を示します。

今回のデモでは、ラジオのオーディオ入力(ラジオのピックアップ入力端子)に有線で信号を入れることとしました。微弱電波での送信も検討しましたが、会場となる東京国際フォーラムの電波状況が未知であるため、送受信の安定度に懸念があること、また電波法の確実な遵守が絶対条件であることを勘案し、有線接続にしました。デジタル音楽プレーヤーから再生されたステレオ信号を音量調整の箱で左チャンネルと右チャンネルに振り分け、各々のラジオには、モノラルで入力をしました。

3-3. デモ音源について

ラジオの入手と並んで苦労したのがデモに使う音源の選定でした。残念なことに、70年前にどんな音楽が再生されたのかは、末永さんの調べでは分かっていないそうです。幸いなことにその後、NHKで同じ形式で放送された立体音楽堂というラジオ番組の一部が、日本オーディオ協会の創立60周年を記念して制作された CD の中に収録されていましたので、それを使うことにしたのですが、同時代のステレオ音源をほとんど用意することが出来ず、やむなく1960年代前半の音楽ソースを用いることにしました。

ステレオ録音のLPレコードの発売が1958年ということで、第一回全日本オーディオフェアが行われた1952年当時は、まだ商業ベースでのステレオ録音は少なかったのだと思われます。どんな音楽でデモがされたのかについて興味はつきませんが、このあたりの情報をご存じの諸先輩方には、是非教えを乞いたいところであります。

【デモの曲目リスト】
  1.NHKラジオ番組 立体音楽堂より
  2.だまって俺についてこい/クレージーキャッツ
  3.Waltz For Debby /Bill Evans Trio
  4.Please Please Me/The Beatles
  5.恋はあせらず/The Supremes
  6.チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番/フリッツライナー指揮 シカゴ交響楽団
  7.Sunny/Bobby Hebb
  8.リンゴ追分/美空ひばり(1963年ステレオ再録版)

これらの音源を先に述べた有線接続のシステムで再生すると、約70年前の真空管ラジオなのにびっくりする位Hi-Fiな音でしたので、サウンドエンジニアの峯岸良行氏にお願いして、AM放送で聴こえるような音質上の演出を加えてもらいました。峯岸氏のスタジオにシグナルジェネレータを持ち込み、実際に電波にオーディオ信号を乗せて送信し、シグナルジェネレータの変調入力からラジオのアンプ直前までの伝達特性を測定することで、特性を決定した帯域制限フィルタを適用し、さらには同じシステムに無入力信号の状態で録音したバックグラウンドノイズをミキシング、その他の処理を加えて、実際のAM受信時の音質とほぼ聴き分けが困難なデモ音源を作ることができました。

3-4. 展示の状況

展示ブースとサウンドエンジニアの峯岸良行氏

2日間のデモ期間中は、オールドファンから若年層まで、ほぼひっきりなしに来場者の方々がこのデモの前で足を留めてお聴きくださいました。オールドファンの方からは、立体音楽堂が放送されていた当時、仲間とラジオを持ち寄って聴いてはみたが、2台のラジオがそもそも違う機種だったので、効果がよく分からなかった、という微笑ましいお話や、2つのチューナーを持つ高級なステレオセットがあったのだが、ラジオの中間周波数(通常455kHz)をそれぞれ違う周波数に設定とすることで、ビート雑音の発生を防ぐのが常識であったというような技術的な深みのあるお話も伺うこともできました。一方、若い方からは真空管ラジオの音のリッチさ、暖かみに関するコメントが多く、「コレ部屋に欲しい!」というような声が何件か聞かれました。

特に面白かったのは、再生されている曲によって足を留めてくださる方の年齢層が違うことです。ビートルズやシュープリームスでは若い方が、クレージーキャッツでは50代以上、特にご夫婦連れの奥様の反応が良く、チャイコフスキーやビル・エヴァンスでは全年齢層をカバーしているように見受けました。

3-5. 最後に

本物の真空管ラジオを用いた2日間ぶっ続けのデモに際して、事前メンテナンスが功を奏して、2台ともトラブルなく過ごせたことに、本展示担当としてまず安心しました。それと同時に70年前の製品が今でも使える1950年代の日本のモノづくりにも感嘆しました。このような体験の場を考えられた井深さんやその時代の諸先輩方の気持ちを少し享受することができ、今回デモ展示を担当させていただいて、大変いい思い出となりました。

*1)本来は1952年当時のラジオを用意したかったのですが、2台同じ機種を揃えるのが非常に困難であったため、やむなく1953年製の機種となりました。

執筆者プロフィール

角田 直隆(つのだ なおたか)
日本オーディオ協会 個人会員
終身オーディオ技術者。現在、外資系通信機器メーカーで技術開発全般を統轄。趣味もオーディオ。

末永 信一(すえなが しんいち)
2020年6月、日本オーディオ協会専務理事に就任。現在に至る。