2021autumn

JBLブランド75年の軌跡

ハーマンインターナショナル株式会社
ライフスタイルオーディオ
コンシューマプロダクトマーケティング部
サウンドエバンジェリスト 藤田 裕人

概要

今年創立75周年を迎えたJBLは、ホームオーディオ用のみならず、プロフェッショナル音響や車載用オーディオシステムなど、多岐に渡って活躍を続けてきました。ブランドの歴史を振り返り、各部門の歩みをご紹介します。

ABSTRACT

JBL, which celebrated its 75th anniversary this year, has continued to play an active role not only for home audio, but also for professional audio and in-vehicle audio systems. We will look back on the history of the brand and introduce the history of each department.

1. はじめに

JBLは、2021年10月1日で創立75周年を迎えました。これもひとえに、永年に渡りJBL製品をご愛顧下さっているご愛用者の方々、ならびにご支援いただいた市場関係者の皆様のおかげであると心より感謝申し上げます。ここに、JBLの歩んできた足跡を改めてご紹介したいと思います。

2. JBLブランドの誕生


1. James B. Lansing

JBLは、1946年、プロフェッショナルオーディオの世界において数々の功績を残してきたラウドスピーカーエンジニア、ジェームスBランシング(James Bullough. Lansing)によって“ランシング・サウンド・インコーポレーテッド”(Lansing Sound Inc.)として設立されました。しかし直後、彼自身が過去技術担当副社長として在籍しブランド名にラストネームを残していたプロフェッショナルオーディオ界の巨星、ALTEC Lansing社から社名について抗議を受けます。彼自身が起こした最初のスピーカー製造メーカーであるLansing Manufacturing Co.がALTEC社に吸収された時点で、Lansingの商標はALTEC社に帰属していることから使用しないよう求められたのです。そこで、Lansingを商標としてではなく自身のフルネームとして用いた“ジェームス B. ランシング・サウンド・インコーポレーション”(James B. Lansing Sound Inc.)と社名を改めることで一旦はALTEC社と合意します。しかし、Jim Lansingのサインロゴの入った高性能ユニット類やスピーカーシステムの市場での評価が高まると、ランシングの没後そのロゴの使用に再び抗議が寄せられます。

スタッフは創設者ランシングの名を何とか製品にブランド名として印したいと、彼のイニシャルであるJ・B・Lをブランド名として用いる事で再度ALTEC社と合意を結びます。ここに『JBL』ブランドが誕生します。1954年のカタログから用いられるようになったこの3文字は、印象的な感嘆符と共にロゴとして用いられ、その後アメリカ西海岸を代表するスピーカーブランドを表すアイコンとして世界中に認知されて行きます。ちなみに、社名のJames B. Lansing Sound Inc.は80年代初頭まで用いられた後、ブランド名に統一されJBL.Incに改められます。1967年には、Paragon、L100 CenturyなどのJBLを代表するスピーカーシステムやSG520/SA600などのアンプの意匠デザインを手がけたアーノルド・ウルフ(Arnold Wolf)によって、四角い枠内にJBLの文字と感嘆符が添えられた、現在のロゴがデザインされました。その後、主にホームオーディオ用に黒またはゴールドやシルバーなどの四角い枠やベースを用いたロゴを、プロフェッショナル市場向け製品にオレンジロゴを、そしてアクティブスピーカーやヘッドフォンなどのモバイルオーディオ用には四角いバックの無い文字だけのJBLロゴが用いられるようになります。

3. JBLのフラッグシップモデル

JBLは、その時代時代に技術の集大成とも言えるプロジェクトモデルをフラッグシップスピーカーとして市場に投入してきました。その第1弾モデルとされるのが1954年登場のD30085 ‟Hartsfield“です。初の10cm径大型ドライバー‟375”を『ゴールドウィング』と称された大型ホーンレンズと組み合わせ、複雑なホーンロードの掛かったコーナー型エンクロージャーに搭載された15インチ径ウーファーと相まって、雑誌LIFE誌において「究極の夢のスピーカー」と言わしめた、JBL初期の傑作システムです。

ステレオ時代に突入した1957年には、一体型ステレオスピーカーD44000 ‟Paragon“が登場します。38cm径ウーファーを中心とする強力な3ウェイ構成のユニット2組をフロントロード型キャビネットに搭載し、中央の反射パネルによってステレオ音場の明確化を図ったパラゴンは、その美しい造形から世界中のオーディオマニアを虜にし、美術館やホワイトハウスに導入されるなど、以後30年間に渡りフラッグシップモデルとして販売が続けられる、JBLを代表するスピーカーとなり、今なおビンテージマニアを魅了し続けています。

50年代の後半、新たにリニア・エフィシェンシー(LE: Linear Efficiency)シリーズ・スピーカーユニット群が開発されると、これらを組み合わせた様々なスピーカーシステムが世に送り出されます。それらシステムの最高峰として60年代初頭に登場したのがD50S8R ‟Olympus“です。オリンパスは家庭用としてのみならず、日本中に広がりつつあったジャズ喫茶などで採用され、ジャズファンをJBLの虜にして行きます。

70年代に入ると、JBLはそれまで受注生産的にレコーディングスタジオや放送局などへ納入していたモニタースピーカーを本格的にシリーズ展開する事になります。38cm径ウーファー2機を備えた4ウェイ・バイアンプドライブ方式の‟4350“を頂点とする『4300シリーズ』と銘打たれたモニタースピーカー群は、世界中のスタジオに瞬く間に導入され、日本ではオーディオマニアからも垂涎のスピーカーとして注目されることになります。4300シリーズ・スタジオモニターは誕生から50年経った現在も、4367などのシステムとして継承され、支持され続けています。

1985年、JBLはパラゴン以来の正確なステレオ音場再生の命題に革新的なホーン技術で挑んだ大型フロアシステム、DD55000 EVERESTを新たなフラッグシップモデルとして投入します。会場の隅々にまで均一なレベルでスピーチを届けるために開発されたコンスタント・カバレージホーン技術を水平指向性の安定のために用いたエベレストの拡張されたリスニングエリアは、当時注目され始めた三管プロジェクターによる本格ホームシアター再生においても威力を発揮しました。

1989年には、2機の35cm径ウーファーモジュールで美しいアクリル製ホーンを用いた中高域モジュールを挟み込んだ仮想同軸構造、『シンメトリカル・バーティカル・アレイ』方式のフロア型システム、Project K2 S9500が登場します。オール・ネオジムマグネット式ユニットと、コンクリート製ベースを含む4つのモジュールで構成された初代K2のS9500は、シングルウーファーバージョンのS7500や、30cmウーファーバージョンのS5500などのバリエーションモデルを派生させ、さらにはM9500というモニタースピーカーへも発展します。

90年代、JBLは全米の家電チェーンストア向けに大量生産型モデルを次々に投入して行きます。S9500/M9500以来フラッグシップ・クラスのモデルの登場が無い中、創立50周年を迎えた1996年には30cm径3ウェイシステムのCentury Goldやモニター4344MkⅡ/4312MkⅡなどの記念モデルを、90年代後半には流麗なピラミッド状のカーブド・キャビネットが特徴的なオールダイレクトラジエーター方式による4ウェイトールボーイ型モデルTI10Kや、DD55000 EVERESTの偏指向性ホーン技術を応用したS2600/S3100などの個性的なモデルを市場へ投入し、JBLの存在感を示してきました。

そして2001年、待望のフラッグシップ機として投入されたのが、2代目K2のS9800です。フルバンドウィズ&フルダイナミクスをテーマに、新たに登場した次世代デジタルフォーマットにフルスペックで対応すべく開発されたS9800は、38cm径アルニコマグネット式ウーファーと、JBL初の75mm径ベリリウムドライバーによる中高域、25mm径ベリリウムドライバーによるスーパーツイーターを搭載した『拡張型2Way』思想のもと、初代K2同様30cm径ウーファーバージョンのS5800という派生モデルを生み出すと共に、4348モニタースピーカーや以後に続く様々なハイエンドモデルへ技術的、思想的に大きく寄与します。

JBLが創立60周年を迎えた2006年、満を持して登場したのが2代目EVEREST、DD66000です。38cm径ウーファー2機を水平配置とし、バッフル面のカーブ構造を巧みに利用してキャビネット横幅いっぱいに開口を広げた大型ホーンと10cm径大型ベリリウムドライバーを組み合わせ、K2 S9800で開発されたスーパーツイーターを添えた大型フロアシステムで、Olympusの威風とParagonの流麗さ、モニターの頂点4350/4355の存在感を併せ持ち、さらにS9800の最新技術を昇華させた革新の装備を持った、JBLの最高傑作と市場から評価されました。

2009年にはDD66000のシングルバージョンとも言えるK2 S9900を開発。開発途上のためDD66000への搭載が見送られた10cm径マグネシウムドライバーを完成させ搭載しています。2012年にEVERESTはマグネシウムドライバー搭載のDD65000とベリリウムドライバー搭載のDD67000へとモデルチェンジ。このProject EVEREST DD67000はProject K2 S9900と共に、今もなおJBLの誇る2つの峰として君臨しています。

2021年、JBLは創業75周年を迎えています。JBLスピーカーの開発拠点であるカリフォルニア州ノースリッジのJBLラボにおいて、この75年間の集大成となる新たなフラッグシップモデルの開発が続けられています。近い将来、その全容をお伝えする日が来るのを我々一同楽しみにしています。

4. JBLの市場

JBLの活躍の場は、これらコンシューマーオーディオの市場にとどまらず、多岐に渡っています。JBLスピーカーシステムのリズミカルで明瞭なサウンドは、これらの現場で培われた技術と経験がすべての製品に活かされている証しと言えます。

JBLと映画産業

創業者James B. Lansingは映画用スピーカーシステムの開発エンジニアとして、前身であるLansing Manufacturing社においてはShearer Horn System、ALTEC Lansing社においてはVoice of The Theater(VOTT)と呼ばれたA4~A6システムなどの開発に寄与してきました。JBL創業後も映画産業との関わりは続きますが、古巣ALTEC Lansingの牙城を脅かすには至りませんでした。しかし、プロ音響界に本格参入した70年代以降、世界中の映画館にJBLのシステムが次々に導入され、初のTHXスタンダードに認定されると、ハリウッド映画の人気と共に世界中に広がり、80年代半ばにはALTECを抑え世界No1のシェアを獲得。同じくALTECから70年代半ばには首位の座を奪っていたモニタースピーカーと共に、JBLプロを支える2枚看板となります。映画の本場ハリウッドにあるアカデミー会員用のプレミアムな映画館、サミュエル・ゴールドウィン・シアターには歴代JBLプレミアム・シアターシステムが導入され、厳格なアカデミー賞の選考に貢献しています。

JBLと音楽産業

映画産業と共にJBLの主戦場となっているのが音楽産業です。Lansing Manufacturing時代に世界初の本格的モニタースピーカーICONICを作り上げ、ALTEC Lansing時代には永く市場を席巻する604モニタースピーカーに搭載された604 DUPLEX同軸ユニットを開発したランシングの技術はJBLに継承されました。それらの実績からレコード各社にモニタースピーカーの提供が求められると、60年代にはLEシリーズのユニット類を搭載したC50SMというモニタースピーカーをキャピタルレコードを中心に展開します。70年台に入り本格的にプロ市場に参入すると、前述の4300シリーズのモニタースピーカー群が市場を席捲。70年代半ばには早くもALTECの牙城を崩し、市場で70%以上のシェアを獲得するに至ります。4300モニターシリーズはスタジオのみならず、アンプメーカーなどの開発現場やオーディオ誌のリスニングルームなどでリファレンススピーカーとして活躍し、コンシューマー市場でも注目を集めて行きます。

音楽産業でのもう一つの柱が、音楽の演奏現場における拡声用スピーカーです。主にMI(Musical Instrument)と呼ばれるステージモニターや楽器用スピーカーから、SR(Sound Reinforcement)やPA(Public Address)と呼ばれるホールや大規模な野外コンサート用を含む拡声システムまで、JBLスピーカーは様々な名演奏や歴史的パフォーマンスの現場を支えてきました。当初は数種類のバックロードやフロントロードのキャビネットに推奨ユニット類を収めた4600シリーズと銘打たれたシステムが用いられるのが一般的で、これらをステージ上にうず高く積み上げることで、電気化されサウンドプレッシャーレベルの高まってきたロックなどのライブ現場や野外コンサートに対応してきました。しかし、90年代以降はよりシステム化されたモジュール型SRスピーカーが中心となり、天井からブドウの房のように吊り下げるフライング式の設置方法が広まる事により、ステージの拡張や客席エリアの拡大など、現代的なライブの演出が可能となりました。JBLプロ最新のVERTECHシステムは38cmウーファー2機と20cm径ミッドレンジ4機、75mm径ドライバー3機をコンパクトなモジュール型キャビネットに収めた強力無比の構成で、世界中のライブパフォーマンスを「天井から」支えています。

JBLスピーカーシステムは世界中の公共施設、商業施設などにも導入されています。ボールパーク(野球場)や競技場、世界的なスポーツの祭典や競技大会などの現場ではJBLのSRスピーカーが式典を盛り上げています。空港や駅、アーケードなどではアナウンス用として、その明瞭なサウンドでインフォメーションを正確に伝える役を担っています。また、ジャズ喫茶に限らず、Hard Rock Cafeなどのカフェやレストラン、ブティックなどでもBGM用スピーカーとして活躍し、ダイナミックなサウンドでその場所での滞在時間を心地良いものにしています。

JBLの車載用オーディオ

80年代にはAシリーズ、TシリーズなどのJBLの車載用スピーカーが開発され、車内でもJBLサウンドが楽しめるようになりました。90年代には38cmウーファーや46cmウーファーをベースとしたマルチウェイシステムを車内に埋め込み、最大音圧を競うSPLコンテストなどが各地で開催され、プロの厳しい現場で鍛え抜かれたGTiシリーズと銘打たれたJBLユニット群が圧倒的なクオリティーを発揮します。また、2000年代にはカーナビの普及に伴うモニター画面の導入によりマルチチャンネル再生などへ発展して行きますが、カーナビが自動車各社で純正化されると、オーディオ機器を交換できる自由度が少なくなり、アフターマーケット市場は次第に縮小して行きます。JBLは世界中の自動車メーカーとブランド提携を締結し、純正または純正オプションとしてその車の開発段階から参画し、車内でのオーディオ環境の改善に努めています。トヨタを始めプジョー、シトロエン、フェラーリなどの名車に搭載され、今日も世界中の路を心地よい音楽と共に走っています。

34. 35. JBLサウンドシステム搭載車両

JBLのパーソナルオーディオ

近年JBLがその活躍の場を広げているのが、パーソナルオーディオの市場です。特に、ブルートゥース搭載のワイヤレススピーカー市場においては世界的にシェアを広げており、日本においても3年連続の売り上げ第1位を記録[※1]しています。これらパーソナルオーディオ製品は、オーディオの入門機器として裾野を広げる役割を担い、2000年初めごろから商品化されてきました。当初はapple社のiPod用ドックスピーカーやPC用スピーカーとして、そのユニークなデザインやネーミングから人気を博していましたが、より広範な用途の様々なモデルが投入され、市場を拡大。ブルートゥース接続機能が備わったFLIPやCHARGEといったボトル型ポータブルスピーカーが登場すると、定番モデルとして市場を席捲、最新モデルFLIP 5やCHARGE5など、代を重ねるごとにその魅力を増し、人気を博しています。また、完全ワイヤレス型と呼ばれるイヤホン市場でもJBL Tour Pro+ TWSなどのヒットモデルが登場。パラゴンやスタジオモニターを知らない多くの若者世代にもJBLのハイクオリティーサウンドを届けています。

5. まとめ

JBLブランドの75年、プロ市場参入50年の歴史を振り返り、カーオーディオやパーソナルオーディオと言った新たな市場での活躍をお伝えしました。映画産業、音楽産業と共に成長してきたJBLは、その現場で培った技術をコンシューマー市場の製品群に還元しながら、今なお進化を続けています。また、音と音楽のある所、あらゆる現場でJBLスピーカーシステムは活躍しています。映画館、コンサート会場、イベント会場や、ふと立ち寄った喫茶店などで、知らず知らずの内に快活なそのサウンドに耳を傾けているかもしれません。JBLはこの先もプロ、コンシューマー、あらゆる場所で音楽の力によって皆さんを元気づけ、癒して行く事でしょう。これからのJBLにも、是非ご期待ください。

参考文献

執筆者プロフィール

藤田 裕人(ふじた ひろひと)
1960年生まれ。工業系専門学校のオーディオ技術科を卒業後、1982年ハーマン インターナショナルにサービスエンジニアとして入社。1985年自社のJBL製品取扱い開始に伴い担当主任に就任。1991年本社販売促進部(後 マーケティング部)へ転属。2015年ハーマンを一時退社、雑誌編集部、輸入商社勤務を経て、2018年よりハーマンへ復職。エバンジェリストとして自社製品やブランドの啓発に努める。