2023autumn

個人会員に聞く!
第2回 西國晴氏

インタビュアー 末永信一(専務理事)

楽しかったOTOTENから、はや4か月の月日が経ちました。会場にたくさんの若い人が来て欲しいということで、色々な策を講じましたが、中でも、自分たちが聞きたい音楽を高級感のあるオーディオで存分に楽しみたいという若い人達の声に応えて、「3時間ぶっ通しリクエスト大会」というイベントを設けました。こちらの様子は、JASジャーナル2023年夏号にて報告をしていただいておりますが、大変盛り上がったイベントとなりました。

それで、このイベントが楽しかったので、オーディオ協会に興味がわきました、個人会員になりたいです!という方々から、続々と入会申請をいただいておりまして、もうそれはそれは大変うれしいお話です。こうやって広がりつつあるコミュニティーを活用しながら、今後、試聴会の開催や座談会を企画していきたいと考えております。オーディオ協会では、いつでも個人会員の募集をしております。

さて、個人会員に聞く!シリーズ第二弾は西國晴氏。現在はクロスゾーンというヘッドホンの技術顧問をされており、今も忙しく国内外を飛び回っておられます。このヘッドホンはアコースティックな仕組みで頭外定位を実現するユニークな製品であり、西さんの熱い思いと知恵が込められた素晴らしい商品なのであります。

過去にはパイオニア株式会社でTADを始めとする数々の名スピーカーの開発に携わられ、スピーカー部門の事業部長もされていた方。また、8年前までは、オーディオ協会の職員として、様々な活動を支えて来られた方でもあります。


協会まで来てもらい、インタビューさせていただいた

1. 協会との関わりについて

西) いやー、ごめんごめん!もうちょっと早く着くと思ってたんだけど、最寄り駅を間違えちゃってさぁ、白金台から歩いてきたのよ~。

末永) えええ、そりゃまた暑い中、けっこう歩くことになって、大変でしたね!

西) 高輪台が近くだったんだー(笑)。

末永) 最寄り駅を忘れちゃうくらい、ここに来られたのも久しぶりでしょ?

西) おお、何年になるかね??

末永) たぶん、西さんがここを退職されて8年くらいになるんだと思います。

西) それにしても、事務所の雰囲気変わったね。ん~~、ずいぶん明るい雰囲気になっていて、驚いた!

末永) 私がここで働き始めた頃、蛍光灯の明るさはバラバラだわ、観葉植物は枯れかかってるわ、机は昭和から使われていたんじゃないかと思わせるようなスチール製だったし、なんだか気分が盛り上がらないから、一気に模様替えさせてもらいました。ま、お金は掛けられないので、壁紙は自分たちで貼ったんですよ(笑)。

西) おー、そうかそうかぁ、末永くんが来てくれてから、オーディオ協会もすごく明るくなって、ほんと良かったよ!この部屋も明るくなったけど(笑)。

末永) ありがとうございます。


オーディオ協会の事務所を懐かしむ西さん

西) 俺、この辺に座ってたんだよな、窓際だから夏は暑くてさぁ。

末永) そこでしばらく懐かしんでますか?

西) いやいや、早く飲みに行こうや!

末永) ダメですよ、ちゃんと、インタビューさせていただいてからですよ(笑)。

西) そうか(ニコニコ)、ところで、末永くんは、博多の出身やったよね?

末永) はい。

西) 俺は大牟田。

末永) ええ、覚えてますよ。同郷人だということで、大変可愛がってもらいました。あとで、そういう話もしたいと思いますが。

西) そうか、そうかぁ。

末永) いや~相変わらずマイペースだなぁ・・・、シナリオってものがあるんで、こっちから聞かれたことに応えて下さいね!

西) おー、すまんすまん。で、何?

末永) まずはですね、西さんとオーディオ協会の接点についてお聞きしたいです。

西) ん~忘れた!

末永) いや、酔っ払いじゃないんで、頼みますよ~。

西) そうだねぇ、校條さんがオーディオ協会の副会長から会長になることになって、何年の話だったか忘れたけど、俺がパイオニアの代表として副会長に座ることになったんだよ。

末永) 私の調べでは2008年ですね。その頃の西さんのオーディオ協会での役割はどういうものでしたか?

西) 俺も事業部長やっていたから決して暇じゃないんだけど、年に数回会議に参加してくれたらいいからって騙されてさぁ。そしたら、A&Vフェスタ(現在のOTOTEN) の実行委員長なんかさせられちゃって、めちゃくちゃ大変だったんだよ。

末永) あら、ご愁傷様で(笑) 。その頃の会場はパシフィコ横浜ですよね?

西) そうそう。参加企業が足りないって言うんで、出展して下さい!と頼みに行ったこともあったね。俺だけじゃなくて、委員の人、みんな手弁当で頑張ってたよ。

末永) そうだったんですね、ちなみに、その頃はどんなイベントを目指していたんですか?

西) 体験型であり、参加型だね。

末永) 今とやろうとしていること、変わらんじゃないですか(笑) 。

西) 試聴室が作りやすいようにと、カンファレンスセンターに場所を変えたりして、雰囲気を変えることから始めたんだよね。

末永) その頃は、何が流行っていたんですか?

西) DVDが普及し始めた頃で、ホームシアターが流行り始めた時期だったからねぇ、家族で楽しめるファミリーシアターなんてコーナーも作ったよ。

末永) なるほど、2008年というと、そういう時期ですね。

西) あと、自作スピーカー自慢大会とか工作教室なんてこともやっていたね。

末永) そういうのを、今のOTOTENでもやりたいんですけどね。なかなか手がまわらなくて・・・。

西) 採算の問題もあって、横浜から秋葉原に会場を移して、俺が4年くらい実行委員長やっていたのかな。秋葉原の頃からだけど、「音展」と言い始めたんだよ。その頃はアルファベットじゃなくて漢字だったけどね。

末永) あの頃、西さんが中心になって展示会をやられていたことなんて、私は一般客だったから、全然知りませんでした。よく校條さんの会長就任当初の話として、協会の立て直しをしなければならなかったと伺っていますが、その陰では西さんが頑張っておられたんですね。

2. オーディオ協会の職員の頃

末永) 2012年に協会の職員になられていますよね。

西) その頃はね、ホームシアターの資格制度を作るというんで、これがまたけっこう苦労したんだよぉ。

末永) かなりの数の資格者がいらっしゃいますね。今はこの制度も無くなってしまいましたが。

西) 残念ながら、インストーラーのニーズが増えなかったから、あるところで募集をやめたんだけど、教科書が残っていると思うから、またそういうの、やったら??

末永) ええ、その教科書、ちゃんと拾い上げてあります。あれも西さんが中心になってやっておられたんですか、すごいじゃないですか。

西) 委員のそれぞれが色々言うから、それをまとめるのが大変だったけど、でも、みんな真面目に考えてくれて、本当に勉強になったし、面白かったよ!

末永) 今、協会の会議室にドルビーアトモスが体験できるように、スピーカーを設置していますので、ちょっと聞いてみますか?

西) (会議室に入って)そうそう、この黒いカーテンもスクリーンも、その頃に設置したものだよ。久しぶりにこの部屋でスピーカーから音を聞いたけど、いいねぇ、ここはけっこういい部屋だったんだなぁ。

末永) コロナ禍になってから、ネットで会議をするのが主になったもので、会議室に集まってもらうってことがなくなったから、ここを試聴体験の場所にしていきたいと夢見まして、いろいろと画策しているんです。

西) いいよいいよ!どんどんやったらいいよ。

末永) 機材だけでなく、いろんなルームチューニングの実験なんかもやりたいと思っていましてね。

西) うーん、もう一度、資格制度みたいなのをやってもいいかもしれない。

末永) 京都検定みたいな検定試験をやったらどうか?というご意見もあるので、カジュアルにオーディオの知識が蓄えられるようなことをやりたいんですよね。

西) いいねぇ、楽しみだね。


ドルビーアトモスの体験に喜ぶ西さん

末永) ハイレゾロゴの運用が始まった2014年、もうかれこれ10年ほど前の話になりますが、私はソニーから委員としてオーディオ協会に関わるようになりましてね。当初、慣れないことで右往左往していたのですが、先ほど口にされていましたが、西さんも同じ福岡県の出身ということで、同郷の親しみを持っていただいたのか、すごく可愛がっていただいたのを覚えています。

西) 同郷というのもあったろうけど、末永くんが一所懸命動いているのを見ていたから、声を掛けてあげなきゃ!と思ったんだよ。

末永) 何かの打ち上げがある、といっては参加せよと連絡をいただいて、私が関わっていないことなのに、「遠慮するな!」と呼んでもらって、当時の私からするとすごい人たち、業界の重鎮の集まりなのに、それぞれの方を紹介していただいて、酒の席で仲良くなったりするから、本来なら新参者で居場所もなかったはずなのに、めちゃ暖かく迎えてもらって、これでオーディオ界の知り合いが一気に広がりました。

西) そんなことあったかね。

末永) さらには、「このおっさんたちは、肉食わないから全部食え食え!」と

西) よく覚えてるなぁ(笑)。

末永) いやー、その頃は、なんていいオジサンなんだろうか!としか思っていなくて、西さんが、そんなに偉い方だったとは知りませんでした、すみません。

西) ただのおっさんだよ(ニコニコ)。

末永) その後、パイオニアのOBの人たちと話をしていると、西さんはいい人だと誰もが言うし、みんなから好かれていた上司という姿が見えてきたので、根っからいい人なんだなぁ!とご尊敬申し上げておりました。

西) 調子いいなぁ、おい!ハハハ

末永) 西さんが担当されていた「音のサロン」は、今は「オーディオ体感WG」というネーミングに代わって、時代にあった活動にしていこうと試行錯誤し始めているんですが、なんで昔はあんなに盛り上がっていたのかなと思うと、西さんがすごく頑張っていたんじゃないか?と思いましてね、今日はそんなお話を聞きたかったのですよ。

西) 俺が頑張ったっていうことじゃなくて、どんどんやりましょ!って声を掛けたら、みんな動いてくれた感じだよ。

末永) その辺が西さんのお人柄ですよね!

西) まあみんな、まだ活力があったからね。

末永) ハードの紹介が中心だった試聴会を、聴かせ方のスタイルを変えながらターゲットも広げていこうとしているんです。

西) いいんじゃない。いろいろ試行錯誤しないと、すそ野は広がらないよ。

末永) なにか秘訣でもあったら教えて欲しいんですけど

西) あるわけないよー、あ~でもない、こ~でもないとやっていくところで、だんだん楽しくなるのよ、きっと。メンバーもお客さんも。

末永) なるほどですね。それをみんなにも伝えておきますね。

3. パイオニア時代の話

末永) 西さんがパイオニアに入社された辺りのお話を伺いたいのですが。

西) やっぱり音楽が好きだったから、そういう企業に入りたいなと思って、1973年にパイオニアに入ったんだけど、最初の2年半は、スピーカーユニットを他社に供給する部署に配属されて、これがいい勉強になりましたね。

末永) スピーカーユニットをエンクロージャーに取り付けただけでは、いい音が出るわけじゃないので、売ればいいというものじゃないでしょうし、大変なお仕事だったんじゃないでしょうか?

西) もう色んなことを色んな会社が言ってくるから、それは大変だったんだけど、売り込みに行くと同時に、相手の話を聞いてくることがすごく財産になったわけだよね。それに、相手の方とだんだん仲良くなってくると、リファレンスにしている最新の曲とか聞かせてくれたりするんだから、これがまた幸せでさぁ~。

末永) なるほど、まだまだ情報が少ない時代ですから、そういったきっかけも新鮮だったんですね。

西) その後、企画部に入って、「好きなことやれ!」と言われて、以来ずーっとコンポーネントオーディオを40年やってきました。

末永) あれ?設計や開発でお仕事をされていたわけじゃないのですね?

西) 機械いじりは好きだったけどね、昔から、車とか。でも仕事は企画や新規事業開発といったことをずっと。

末永) そうなんですね。パイオニアのホームページに寄れば、西さんはプロ用モニタースピーカー・TAD(Technical Audio Devices) のプロジェクトがスタートした1975年から企画開発に携わられ、パイオニアの誇るTADテクノロジー確立の礎を築き上げた一人と称されています。

西) 当時スピーカーをやってきた人たちにとって、モニタースピーカーを作るというのは、基準を作るということだから、夢というか、悲願だったわけね。

末永) なるほど。

西) そこにJBLで副社長をやられたバート・ロカンシーさんがパイオニアに招かれて、当時の常識を覆すような製品の精度を求められたり、本物の技術が確立していくことになってね。

末永) そんなすごい話があったんですね

西) この方は、AESの副会長もされたようなスピーカーの大家なんだよ。それで、1978年に、軽量でありながらエッジ一体型の大型ベリリウム振動板を搭載したTD-4001が開発されて、まずはアメリカで発売に至るわけ。従来品の性能をはるかに凌ぐ製品と評判になって、たくさんのスタジオで導入していただきました。

末永) 入社5年くらいで、それはすごい仕事に関わられましたね。


TD-4001(写真協力:パイオニア株式会社)

西) 日本では、イーグルスのジャパンツアーで使われたことがきっかけで、話題になったんだよね。それで一気にTADというブランド化ができたということだね。

末永) そうなんですか、実は私は中高生の頃、イーグルスが大好きで、初来日したのが私の高校受験まっ盛りの1976年の2月、さすがにそれは行けないので、次の来日を楽しみにしていたら、今度は大学受験の浪人中の1979年ですよ。なんでなんだよ!と残念がっていたら、その3年後は、なんと!解散ですよ・・・とほほ。

西) そお!イーグルスが好きだったんだ、いい曲いっぱいあったよね。

末永) いやまあ、その行けなかった1979年のイーグルス来日公演に、また一つのストーリーが増えました(笑)。

末永) 西さんと言えば、ピュアモルトの樽材を使ったスピーカーの開発などで、その名を轟かせているわけですが、だから、てっきりスピーカーの開発エンジニアなのだと思っていましたが、西さんの部下だった今裕実さんから、今のAVアンプでは常識ですが、オートキャリブレーション機能を搭載するようにしたのは西さんの功績だと教えてもらいました。

西) マルチのスピーカー配置って、なかなか普通の人達にとって難しいじゃない。一般的な家では、壁に沿ってスピーカーを置くだろうし。ITU-Rのあのサークル状に置いて下さいなんて、誰ができるの?って話だよね。だから、マイクを試聴ポイントに置いて測定して、快適な空間を作ってあげられたらいいなと思ってね。

末永) その元祖が西さんだと聞いて驚きました。

西) いや、技術はすでにあったと思うよ。コンシューマーで採用したのが初めてだったみたいで。社内でもそんなの駄目だとか色々声があったんだけど、100%じゃなくても、80%でもいいものにしてあげられたら、安心できるじゃない。何も考えずにバラバラより、はるかにいいし。

末永) 単純に距離だけの問題じゃなくて、部屋は凸凹しているから音が乱反射したりしますからね、それを鑑みて自動的に調整するって、画期的なことだったと思いますよ。

西) すぐ、いろんな会社が搭載してきたけどね。

末永) 私は、DVDやBlu-rayをやってきたので、パイオニアさんのAVアンプなんかは、ずっと横目に見てきましたが、いい製品がいっぱいありました。

西) 今となっては、懐かしいねぇ。

4. 西さんからのコメント

2023年の総会に際し、西さんから、「OTOTENに益々若い人たちが来てくれるように、頑張って下さい!応援しています!」 というコメントが寄せられました。

末永) OTOTEN2023の開催も無事に終わりまして、もっともっと若い人たちに参加してもらおうと頑張っていたんですが、目標にはまだ足りてませんで・・・。

西) いやいや、去年もだけど、今年もすごくたくさん若い人が来てくれていて、良かったと思うよ。OTOTENだけだからね、若い人がたくさん来てくれるホーム系のオーディオイベントって。だから、これからも頑張ってよ!

末永) ありがとうございます。出展社のなかには、すぐに買ってくれるお客さんじゃないと迷惑がるところもあって、若い人をどんどん増やすのも、まあどうなんだろうな?と思うこともあるんですが、西さんのように、孫でも可愛がるように接客していただけるのを見ていると、本当にありがたいなぁと思いましてね。

西) すぐに買ってくれるかどうかなんて、そんなことで若い人を退けているようじゃ駄目だよ。業界みんなで若い人たちを育てなきゃね!そうやって我々は育てられたんだから、恩返ししなきゃ。

末永) そうなんですよ。小川会長ともよく話をするんですが、直近のお客様へのアプローチはメーカーや販売店の皆さんがやるので、協会がやるべきなのは将来に渡ってオーディオ文化が続くように、若い人を連れてくることじゃないかと。

西) そうだね。

末永) それに、若い人たちから声を聞いてみると、例えばOTOTENの会場の部屋の扉を開けるのが怖い!と言うんですよ。我々大人からすると知らなかったですよね、そんなこと。

西) 確かにね、扉をあけるのは若い人たちには怖いだろうね・・・。もうできるだけみんなに楽しんでもらいたいと思うから、せっかくだからいい音を聞いて行きな!って俺は手招きして優しく声を掛けているよ。

末永) 楽しそうにやっていただけるのは、本当にありがたいです。

西) う~~ん、どんどんやって!いつも楽しみにしているから。

末永) はい!

5. 最後に

西さんとこれだけじっくりお話をしたのは初めてでしたが、大変楽しい時間となりました。そして、ますますそのお人柄にほれ込みました。終始ニコニコしてお話され、仕事ですから大変なこともたくさんあったのでしょうに、古い話を楽しそうに語っていただきました。内緒話や省かせていただいた話もいっぱいあるのですが、西さんを中心に色んな人たちが、そしてたくさんのプロジェクトが盛り上がり、またオーディオ協会を盛り立ていただいて、オーディオ協会がそんなみんなに支えられてきたことが理解できました。

また、オーディオの文化が、自分たちだけが楽しんで終わっては駄目だ!と真剣におっしゃって下さり、若い人たちにすそ野を広げていこうという協会のアクティビティに、今後とも期待していると声援をいただきました。大変うれしく思いました。

このインタビューの翌週は中国に出張が入っているということで、本当にお忙しい中お時間をいただき、ありがとうございました。また何かの打ち上げに呼んで下さい(笑)!

インタビューの後は、焼き鳥屋さんで若い頃テニスに興じておられた話を聞かせてもらいました。それと、西國晴というお名前には、天気が西から東に移動するのになぞらえて、西から国が晴れるという意味が込められているそうです。西さんの笑顔で日本という国が照らされている明るさを感じました。

個人会員プロフィール

西國晴(にし くにはる)
1950年、福岡県大牟田市生まれ
1973年、パイオニア株式会社入社
TADを始めとするスピーカーやコンポーネント製品の企画開発に携わる。2008年から2012年まで、日本オーディオ協会の副会長に就任。2012年から2015年まで、日本オーディオ協会の職員。現在、CROSSZONE Limitedにて技術顧問。

筆者プロフィール

末永信一(すえなが しんいち)
1960年、福岡市生まれ
2019年、ソニー株式会社退社
2020年6月より、日本オーディオ協会専務理事に就任