2023summer

立体音響に対応したウェアラブルネックスピーカーAN-SX8

シャープ株式会社 TVシステム事業本部 新規事業統轄部 開発部
大久保滋

概要

当社は、2023年6月15日に映画や音楽などの臨場感あふれる立体音響が手軽に楽しめるウェアラブルネックスピーカー『AQUOSサウンドパートナー』<AN-SX8>を発表しました。本稿では、AN-SX8の開発経緯や技術の特長をご説明します。

1. はじめに

近年、Dolby Audio、Auro-3D、DTS:X、22.2マルチチャンネル音響等に対応したサウンドバーなど、様々な立体音響/イマーシブオーディオ対応製品が各社より発売されています。また、ネックスピーカーや骨伝導イヤホン等、耳をふさがずに楽しめる「ながら聴き」を意識したオーディオ製品の市場も拡大しています。当社は、イマーシブオーディオに対応したネックスピーカーとして、AQUOSサウンドパートナーAN-SX8を開発しました。その開発経緯や技術の特長をご紹介します。


AQUOSサウンドパートナーAN-SX8

2. 製品開発の経緯

本モデルは2019年に発売された高音質タイプのネックスピーカーAN-SX7A(JASジャーナル2020年9月号で紹介)がベースモデルとなっています。このAN-SX7Aは、当時の開発担当者が手作り試作を重ねた結果、商品化に至ったモデルです。(下表参照)

AN-SX7Aはネックスピーカーの高音質(没入派)モデルとして一定の評価を得てきました。今回は、その高音質コンセプトを引き継いだうえで、昨今の立体音響/イマーシブオーディオの普及に対応し、気軽に立体音響による没入感を体験できる「身にまとうパーソナル立体音響オーディオ」として開発することにしました。

本開発に際して、仕様のポイントとなる立体音響技術の選択に関し、様々な議論を重ねた結果、より多くの人々に、より多くのコンテンツを立体音響で楽しんでもらいたいとの願いより、当社サウンドバー(JASジャーナル2021年秋号で紹介)に搭載実績のある「OPSODIS®」、及び、「Dolby Atmos®」という2つの立体音響技術に対応しました。

その意味では、本モデルはネックスピーカーを立ち上げた開発者のノウハウや想いとサウンドバーで立体音響を開発したノウハウなどを受け継いで開発されたモデルとなります。次章以降で、技術の特長や開発で苦労したことなどをご紹介したいと思います。

3. 技術の特長

ここでは、ネックスピーカーAN-SX8の技術の特長をご紹介します。まず、基本となる音作りは、独自のハイブリッド型音響システム「ACOUSTIC VIBRATION SYSTEM」で実現しています。蛇腹形状のゴムの中に、中央に重りを付けたチューブを取り付けた“振動ユニット”を搭載、低音に合わせて振動ユニットが伸縮して振動を作り出すパッシブラジエーター構造と、振動ユニットの内部にバスレフダクトを組み合わせた構造となっています。従来モデル(AN-SX7A)から重りのバランスをチューニングしなおし、低音域から中高音域まで自然な音作りを行いました。


ACOUSTIC VIBRATION SYSTEM

立体音響技術として、音楽ホールやスタジオ等の建築音響分野で豊富な実績を持つ鹿島建設株式会社技術研究所と、音響技術分野で著名な英国サウサンプトン大学音響振動研究所が共同開発したOPSODISを搭載しています。OPSODISは少ないチャンネル数で、前後・左右・上下360度の立体音響を創出する技術であり、臨場感のある立体音響を実現します。また、映画館でも採用されている立体音響技術であるDolby Atmosにも対応しています。
ここで、OPSODISについてもう少し詳しくご説明します。

左から、テレビ、ネックスピーカー送信機、ネックスピーカー本体を示しており、各ブロックでの信号処理を記載しています。TVから出力される様々な音源に対して、「バイノーラル変換処理ブロック」が、左耳用、右耳用それぞれの立体音源を生成します。

「クロストークキャンセルブロック」では、左右のスピーカーから出力される音が、耳に届くまでに混ざり合うことで生じる音声劣化を除去します。ネックスピーカー本体では、「スピーカー補正ブロック」にて、スピーカーの指向特性や取付け構造の影響を補正し、左右のスピーカーから音声を出力することで、左右の耳に届く音は、360度、あらゆる方向から到達する音を再現し、圧倒的な没入感を体験できます。ネックスピーカーのようなチャンネル数が少ないオーディオ機器には最適な立体音響技術と言えます。

なお、本体と送信機の無線伝送には、Bluetoothの新規格「LE Audio」の技術を用いた独自の通信方式を採用しました。48kHz/24bit相当の伝送で高音質な音声を楽しめます。

4. 立体音響チューニング

サウンドバーの技術をネックスピーカーに展開するにあたり、製品の形状や使用形態の差が音作りにも大きく影響し、新たな開発課題をクリアする必要がありました。

まず、製品の形状に関しては遠くで聴くサウンドバーのシンプルな音場近似に対して、耳に近い位置で聴くネックスピーカーは、もともとのクロストークが小さいながら、音の回り込みに関しては、より複雑な振る舞いを見せ、HRTF(頭部伝達関数)とクロストークキャンセル処理に割り当てる演算パワーの見直しが必要となりました。

また、基本的なチューニングの方向性についても大きな差があり、サウンドバーでは如何に音場を広げるかに注力したのに対し、スピーカーが左右に離れているネックスピーカーで自然なステレオ感を再現するためには、±30度程度の範囲に音場を狭めるという逆方向の志向が必要でした。

マルチチャンネルの音声信号を左右2つのスピーカーから出力するため、最終的にクロストークキャンセル信号も含めて2チャンネルの出力信号を作り出すのですが、ミックス過程での信号レベルの増大によるクリップを回避するため適切なアッテネート処理が必要となります。

一方、送信機から本体へ無線で伝送する際の伝送フォーマットのビット深度の不足による微小信号の消失を避ける必要があり、全体レベルの最適化を図りつつ立体音響成分の伝送に支障が無いようパラメーターを設定しました。

スピーカーの配置検討として、本体の先端から耳の下あたりまで、スピーカーの配置を変えながら視聴確認を実施しました。スピーカーの配置場所によって音の定位感が変わるのですが、前方、上方、後方の拡がり感のバランスを考慮して、本体の先端に配置しています。

左右の耳の近くにスピーカーがあるため、ヘッドフォンのように頭内定位が起こりやすいことがわかりましたが、これを解決するために、本体の先端に配置したスピーカーは少し前方に傾けて配置し、さらに、顔の前方に音像が定位するよう信号処理で調整を行いました。

このように調整したパラメーターで視聴してみると、音源によっては定位が後方かつ下の方に引っ張られることがあり、ACOUSTIC VIBRATION SYSTEMの位置が要因とわかりました。AN-SX8を装着すると、ACOUSTIC VIBRATION SYSTEMは耳の真下付近に位置するため、出力する低音が強すぎると振動が大きくなり、定位が下の方に引っ張られます。また、低音が弱すぎると、臨場感に欠ける音になります。低音と中高音のバランスを調整することで、臨場感を保ちながら、立体感を実現することができました。

以上の立体音響チューニングにより、ネックスピーカーにおいても上下・左右・前後の移動感を感じられ、臨場感のある自然な立体音響を体感できる音作りができたと思います。

さらに、今回の開発で立体感の認識についても気づかされたことがありました。上記チューニングにあたり、さまざまな音源を用いた評価を進める過程で、開発を担当する技術者にも変化があらわれました。当初は開発担当者が想定した程には立体感を感じられない技術者もいましたが、繰り返し音を聴くことで精度の高い立体感を感じることができるようになっていったのです。

これは、立体音響などの空間知覚は個人差があり、またそれは慣れの要素もあるためです。したがって、これからAN-SX8をお使いいただく場合、使い続けていくことで、初めてお使いの時より一層自然な立体感を感じていただける方々もいらっしゃると思います。

5. まとめ

立体音響技術を搭載したウェアラブルネックスピーカーAN-SX8の開発経緯と技術の特長をご紹介しました。一人でも多くの方々に本商品を手に取っていただき、手軽に立体音響を楽しんでいただけると嬉しいです。

※ Opsodis is a Trade Mark used under license by Opsodis Ltd.
※ Dolby、ドルビー、Dolby AtmosおよびダブルD記号は、アメリカ合衆国と、またはその他の国におけるドルビーラボラトリーズの商標または登録商標です。

執筆者プロフィール

大久保滋(おおくぼ しげる)
1996年、シャープ株式会社に入社。オーディオ製品のシステム設計、回路設計に従事。2005年からの6年間は、液晶テレビの音声システム開発にも従事し、映像に適した音作りを経験。現在は、オーディオ製品に搭載する技術の進化、音質の向上に取り組んでいる。