2021summer

コラム「空気録音体験記」

フリーランス・ライター市川 二朗

世の中は非常に困難な状況が続いているが、人々は創意工夫を凝らして少しでも通常の生活に近づける努力をしている。病禍の感染拡大抑止に最も効果があるのは、人々の交わりを抑えることであり、オンラインの活用は最も優良で効率的な手段であろう。オンラインの活用は我々の生活のあらゆる事物に広まっていて、オーディオ・ビジュアル業界のおいても積極的な活用がなされている。そのオンラインで最近にわかに盛り上がっているのが「空気録音」だ。誰が名付けた「空気録音」。まあよく言ったものである。まず言葉のインパクトで引きつけて、そしてコンテンツの中身で驚かせる。大昔に流行った「トンデモ系」にも似た存在にも思えるが、病禍における涙ぐましい努力の産物でもあり、賛否両論あるところだが、僕はとても素晴らしいことだと思う。

そもそも、オーディオというやつは、「音質」という曖昧模糊としてとらえどころの定まらない事象をご本尊としているので、昔から「分かったようなふり」とか「言ったモン勝ち」とか、外野から揶揄されることもある趣味だ。しかし、「音質」は確かに存在するものであり、音質の違いを感じ取ることができる人々だけが、オーディオを趣味とする資格があるのだ。大げさな言い方だがそれが真実なのである。感覚や感性でとらえる要素は、個人差が大きく、それぞれの嗜好もあるので「音質」なんて分からない、という人もいる。ただ、そういう人も、全く違う分野は詳しかったり、うんちくを述べたりすることもあるのだから、自分が分からないことをとやかく言うものではない、と僕は常日頃から思っている。空気録音もしかりだ。本質を知らずして、安易に意見してはいけない。

しかしまあ、今回は実にすさまじいセッションであった。朝の10時前からセッティングを開始し、撤収が終わったのは23時をまわっていた。単なる録音場所の提供だというので気軽に引き受けたのだが、想像をはるかに超える大仕事に、オブザーバーというか、観客というか、つまり傍で見ていただけの僕もかなり疲れてしまった。しかし、録音エンジニアの西尾さんの気迫と集中力は圧倒的であり、相当の重労働にも関わらず、最後の録音まで慎重かつ丁寧な所作を維持されている様子は感動的でさえあった。とにもかくにも、西尾さんをはじめ、同席された日本オーディオ協会の末永さん、あと西尾さんと一緒に大変な作業をおこなった同協会の秋山さんのお三方には最大の賛辞を贈りたい。

実際にプレイバックを聴きながら思ったのは、録音はもちろんのこと、再生に関してもできる限り同じ基準でおこなうのが重要だということだ。ポイントはいくつかあるが、最大のキモは「ヘッドホンで再生する」、ということだ。空気録音は決してスピーカーで再生してはいけない。空気録音には装置と録音した部屋、双方の特色、音色、特性が含まれている。それを再生するということは、装置と部屋の影響を二重に受けるわけなのだが、これは通常のオーディオではありえないことなのだ。従って、現実ではありえない音を聴くことになるのだが、ヘッドホンを使うことで、部屋の影響だけは極小化することができる。装置の影響の二重化はどうしても回避できないが、部屋の影響だけでも回避することは非常に重要なのである。

今回の目的はいい音を録ることではなく、空気録音のやり方の目安となる実例を提示することにあった。今回の我々の試みが、オンライン活用の手法として病禍終息後も継続運用されるための一助になるといいと思う。

執筆者プロフィール

市川 二朗(いちかわ にろう)
元々は故・長岡鉄男氏の試聴室に出入りする1人のオーディオマニアだったが、編集担当者に誘われ、1996年からオーディオ・ビジュアル誌にて執筆活動を開始。20年以上に渡り、会社勤めとの二足のワラジを履きながら執筆活動を続ける。2020年、フリーランスとなり念願の専業ライターになった。