2024winter

第32回トーンマイスターコンベンション「3D Audio」レポート
~イマーシブとサラウンドレコーディングの理由と背景~

名古屋芸術大学 音楽領域 サウンドメディア・コンポジションコース
准教授 長江和哉

はじめに

2023年11月、ドイツ・デュッセルドルフで行われたドイツトーンマイスター協会(以下VdT)主催、32. Tonmeistertagung(トーンマイスターターグング、以下TMT)。1949年より2年に一度開催されているトーンマイスターのコンベンションで、32回目となる今回は、4日間に渡り録音・音響技術関連の研究発表やワークショップが行われ、また、同時に多くの音響機器企業の機材展示もあり、ポストコロナを象徴するようなコンベンションとなった。

3D Audioについては、2021年5月にApple MusicやAmazon Musicなどで、ドルビーアトモス音源のストリーミングが始まり、身近なスマホ端末やApple TV 4Kなどのセットトップボックスで聴くことができるようになり日本でも注目されているが、本コンベンションでも多くの3D Audio関連の発表があった。その中から、本稿では、VdT会長のウルリケ・アンダーソン(Ulrike Anderson)氏による、3D Audio制作のワークショップをレポートしたい。

本ワークショップは、3D Audio制作の先駆者である、ジム・アンダーソン(Jim Anderson)氏、深田晃氏、濱﨑公男氏、モートン・リンドバーグ(Morten Lindberg)氏、ラグーンヘイズル・ヨンスドッティル(Ragnheiður Jónsdóttir)氏が自身の録音作品を紹介しながら、その考えを述べていくスタイルで90分に渡って行われたが、その内容に加え、事後に行ったメールインタビューとともにお伝えする。

なお現在、立体音響再生については、3D Audio、イマーシブオーディオ、空間オーディオなど様々な呼称がある。また、各スピーカーの名称についてもさまざまであるが、本稿では講演者が用いた言葉をそのまま表記している。

ウルリケ・アンダーソン

こんにちは。このワークショップに皆さんをお迎えできてうれしく思います。講演者の5人には、私の先生もいますし、新しい友人もいます。今回、サラウンド・サウンドがどうあるべきかについて、とても影響力のある人たちが集まりました。彼らにはそれぞれの哲学があり、何が重要かを知っています。プレゼンテーションでは、1人1曲ずつ紹介し、どうしてそのようなサウンドになったのか、そして、そこから何を得たのかについて説明いただきます。そして、私たちは5つの異なるアプローチを知り、ディスカッションしていきます。それでは始めましょう。


Ulrike Anderson(ウルリケ・アンダーソン)氏
Anderson Audio http://andersonaudiony.com

モートン・リンドバーグ

今回は、これまで私が行ってきたこととは、まったく違うことを紹介します。私はこれまでよく、大規模なオーケストラの録音を行い、その音楽を「写真や筆で絵描くように」リスナーに伝えてきましたが、それらは非常に精巧で綿密なものです。今回は、非常にシンプルですが、3人の女声とオルガンの音源を紹介したいと思います。


Morten Lindberg(モートン・リンドバーグ)氏
2L https://www.lindberg.no

ご存知のとおり、この録音の美しさはそのシンプルさです。つまり、それ以上あまり言うことがありません。私のマイクアレイは、基本的にイマーシブオーディオのスピーカーの構成を1mから1.2mのマイク間隔に縮小したものです。また、全てのマイクは全指向性(Omni)を用いています。それらのマイクはそれぞれの音をピックアップし、スピーカーよりリリースされます。つまり、スピーカーを録音しているようなものです。したがって、時間差がある状態で再生されます。信号は何もプロセスしていません。歌手たちはマイクアレイの周りに集まって歌いました。そして、この録音のコンセプトは、「あなたは何を聴きたいか?」ということとなります。


Kyrie / TRIO MEDIAEVAL
2L-175-SABD

http://www.2l.no/pages/album/175.html

この曲の編集上のトリックを知るために、オルガネットという楽器をよく知っている必要があります。オルガネットは、膝の上に置く小さなオルガンです。演奏者はいわゆる吹子(ふいご)を動作させますが、それは「ブレス=息づかい」が聞こえるということです。そして、音を出す寸前で吹子の圧力を維持すると、パイプに常に圧力をかけている限り通常のオルガンではできないイントネーション(音程)をコントロールすることができます。したがって、オルガネットはオルガンのようでありながら非常に声に近い楽器となり、それによって3人のヴォーカルと結びつくこととなります。

イントロではオルガネットが視界の前方に置かれ、歌手が登場するとオルガネットが後方に移動します。もちろん、それはオルガネットの位置を変えて異なるテイクとして録音し編集したわけですが、それはシンプルにこのアルバムの私のコンセプトによるものです。つまり、ヴォーカルの一部であるオルガネットが、部分的にはトラック間の青いイディオムのようであり、また、部分的にはヴォーカルとして機能します。したがって、オルガネットはオルガンでありながら非常に声に近い高い楽器となり、それによって3人のヴォーカルと結びつくこととなります。

濱﨑公男

皆さん、お越しいただきありがとうございます。昨日の夜は良い経験をさせていただきました。私はデュッセルドルフのコンサートホール「トーンハレ」で、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団によるストラヴィンスキー作曲「ペトルーシュカ」を聴くことができました。それは、とても素晴らしい演奏と音響でした。私は音楽を、昨晩、音楽が私に与えてくれたような体験となるように録音したいと思います。では、お聴きください。


濱﨑公男氏
ARTSRIDGE LLC http://www.artsridge.com/

I pini della Via Appia from Pini di Roma / Ottorino Respighi
ローマの松よりアッピア街道の松 / レスピーギ
(音源未発売)

この収録は無観客です。残響は非常に豊かで、人工的なリバーブは使用していません。また、EQもディレイも用いていません。非常にシンプルですが、私にとって最も重要なのは、直接音と間接音の関係を適切にコントロールするということです。というのも、音楽録音においては、楽器の直接音にもフォーカスしたいですし、自然な初期反射音や後部残響音も聴いてみたいと思うからです。これらは音像の定位のためだけではなく、音色のためでもあります。

これが、私が2組のマイクロフォンアレイで構成されるシステムを使用する理由です。1つのマイクロフォンアレイ、すなわちメインマイクロフォンアレイは直接音を捉え、もう1つのアレイ、すなわちアンビエンスマイクロフォンアレイは初期反射音と後部残響音を捉えます。そのためには、アンビエンスアレイは直接音を極力収音しないということが重要になります。

そして、メインアレイは楽器の自然な音色を実現する直接音を正しく収音することが重要となります。このふたつのアレイで適切に直接音と間接音を収音できれば、直接音と間接音のバランスを自在にコントロールすることができ、望みどおりに録音を実現することができます。これが、私が2組のアレイを用いる理由です。


Microphone technique for natural immersive sound recording
濱﨑氏の考案するイマーシブレコーディング手法。L-C-R + HL-HC-HRメインマイクアレイとHamasaki-Cubeによるアンビエンスマイクアレイを組み合わせ、3D Audio再生に必要となる直接音と間接音を捉えている

私のバックグラウンドは放送、すなわちライブレコーディングです。私はいつも観客のいないリハーサルと、観客がいるコンサート本番の音の違いに苦労してきました。私のマイクロフォンテクニックには、こういった環境でも最適な録音ができるようにと考えた結果でもあります。

現在、私は先ほど聴いていただいたような音楽録音だけでなく、時には、より芸術的創造の視点が求められるインスタレーションやライブエレクトロニクスの音楽制作にも取り組んでいます。音楽録音では、一般的な人々が聴くことができる3Dオーディオのための汎用プラットフォームやそのプラットフォームに準拠したスピーカー配置を用いる必要があります。しかし、インスタレーションやライブエレクトロニクスでは、アーティストが自分自身の感性に基づき、作品やその会場にあわせた様々なタイプのスピーカー配置を用いて臨場感あふれるサウンドを聴衆に提供することができます。

最近、若い人の中には、イマーシブをバイノーラルで聴いている人もいるようですが、その中にはイマーシブサウンドではなく2chステレオサウンドの方が好きだと言う人もいます。これは、イマーシブサウンドの音が2chステレオサウンドにくらべて、音色や音質の点で劣っていると感じられているからだと思います。私たちは、このような若い人たちや音楽愛好家に対して、3Dオーディオが、空間音響だけでなく、音色や音質も、2chステレオに比べて素晴らしいことを理解してもらうようにすることが必要であると思い、そのために、自分自身も努力を続けていきたいと考えています。

ラグーンヘイズル・ヨンスドッティル

皆さん、こんにちは。Sono Luminusのダニエル・ショアーズ(Daniel Shores)氏と一緒にアイスランドで行った録音を皆さんにシェアしたいと思います。この作品では、彼がサウンドエンジニアで、私がプロデューサーでした。この楽曲は、バラ・ギスラドッティル(Bára Gísladóttir)氏による作品です。彼女は非常に才能のある若い作曲家です。彼女の音の世界は、私がこれまで聴いたものとは大きく異なり、実際、この曲には普通の音が存在しません。すべては拡張された奏法です。良い意味でとても奇妙に聞こえますが、繊細かつアグレッシブです。気に入っていただけると嬉しいです。

録音の際、オーケストラをメインマイクの周りに円状に配置しました。この音楽の録音は、みんなが普段よく聴くオーケストラのサウンドとは全く異なります。つまり、みんなのコンフォートゾーンから離れているため、音楽的にもプロダクション的にも妥協が許されない状況でした。


Ragnheiður Jónsdóttir(ラグーンヘイズル・ヨンスドッティル)氏
http://www.rjonsdottir.com/


ÓS / Bára Gísladóttir
Atmospheriques Vol. I
Iceland Symphony Orchestra, Daníel Bjarnason

http://www.sonoluminus.com/store/atmospheriques-i

アルバムタイトルの「ATMOSPHERIQUES」は大気、大気圏、雰囲気といった意味を持ちますが、アイスランド交響楽団とともに異なる5人の作曲家の作品を5日間かけて録音しました。どの作品も初めて録音された楽曲です。私たちのメインマイクは、まさにモートンの方式のアレイです。私たちの録音哲学は、可能な限り少ないマイクを使用して録音することです。できれば各スピーカーに一つのマイクが望ましいと考えています。スポットマイクもいくつか設置しましたが、それは、万が一の場合に備えたもので、実際に使用したのはごく一部のみでした。


楽器配置とメインマイク
コンサートの配置とは異なり、指揮者を中心に放射状に前面には弦楽器、外周に木管楽器、金管楽器が配置されている。メインマイクアレイは7.0.4のスピーカー配置とほぼ同様の形状で、アンサンブルの中心に配置されている。マイクは、サイド以外はDPA 4015ワイドカーディオイド、サイドはDPA 4006全指向性が用いられている

基本的にはメインマイクに対してミュージシャンの配置を変えて「ミックス」しました。つまり、ミュージシャンの配置は、楽器の音の大きさを考えて決めていきました。たとえば、弦楽器は木管楽器や金管楽器よりも音量が小さいため、メインマイクの近く配置しました。また、この曲ではパーカッション、特にサンダーシートが非常に大音量で演奏されます。そのためパーカッションを最も遠くに配置しました。金管楽器は、通常よりもマイクにかなり近い位置に配置しています。なぜなら、遠すぎると聞こえないであろう特殊な演奏をしているからです。

私は、このアルバムのプロデューサーとして、実際に録音する前に、作曲家の「言語=ことば」を理解する必要がありました。バラ・ギスラドッティル氏の音楽は、拡張された現代的な奏法により、すべての楽器のサウンドが普通のオーケストラとまったく違って聞こえます。そのおかげで、実に興味深い、実験的なレコーディングセッションとなりました。

深田晃

お越しいただきありがとうございます。私のサンプルは今年の9月に松本で収録したシンプルなオーケストラの音源です。ジョン・ウィリアムズが作曲し、サイトウ・キネン・オーケストラが演奏したものです。


深田晃氏
dream window inc. http://dreamwindow.info/homepage/

Sound the Bells! / John Williams
(音源未発売)

イマーシブレコーディングについて、私の考えは、まずリスニングポジションをどこにするか?ということです。普段、思い浮かぶのは、コンサートホールの客席です。しかし、イマーシブではどうすればよいでしょうか?私はコンサートホールの客席からステージへ移動したいと思います。これまでの5.1chでのオーケストラは前方に展開していました。しかし、なぜ、オーケストラの音は前からしか出てこないのでしょうか?イマーシブレコーディングでのリスニングポジションについて、私のイメージは指揮者の後ろです。したがって、マイクは通常、L C R Ls Rs Lss Rssの7つのメインマイクとなりますが、サイドのLss-Rssマイクがワイドレンジのイマーシブ感を実現します。


メインマイクアレイ 
LR DPA 4006A、C DPA 4006C、LL-RR DPA 4006A
Tfl-Trr Schoeps CMC41、Trl-Trr Schoeps CMC121

この録音はコンサートのライブ録音ですが、リハーサルと本番を録音しました。そして、コンサートホールでの録音は録音時にほぼ全ての要素が確定します。ですからサウンドに関しては大きく変更することはありません。しかしミキシングバランスは丁寧に行っています。そして、私のハイトマイクは通常、上向きに単一指向性(Cardioid)を使用しています。なぜならハイトスピーカーには低域の情報は必要ないと思うからです。したがって単一指向性を使っています。またハイトには全指向性(Omni)では得られない、よりダイレクトな音も欲しいと思います。

ジム・アンダーソン

私の音楽は、これまでの皆さんとまったく違うものです。しかし、私たちはお互いに影響し合っています。リバーブは、スカイウォーカー・サウンドのライブ・チャンバーを使用して作成しました。つまり、リバーブは、音源がスタジオのスピーカーから再生され、8つのマイクを用いたHamasaki-Cubeを使用して録音されました。また、この作品では、私たちAnderson Audio New Yorkは、セッションの録音は担当しておらず、イマーシブミックスのみを行いました。この楽曲では、ラテン系アメリカ人とラテン系文化を祝うことが歌われています。曲の中では、彼女は”Dream big, speak up, stand up for each other” 「夢は大きく、声を上げ、お互いのために立ち上がれ」と歌っています。これは熱狂的なラテンミュージック作品です。


Jim Anderson(ジム・アンダーソン)氏
Anderson Audio http://andersonaudiony.com


Somos Sur -(featuring Ana Tijoux) / Arturo O’Farrill
https://music.apple.com/jp/song/somos-sur-feat-chad-lefkowitz-brown-frank-cohen-abdulrahman/1436216713

それは私たちに命じられたインサニティ=狂気の沙汰でした。このミックスには約1日半かかり、アルバム全体のミックスには5日かかりました。主なアイデアは、アレンジのロジックを理解することでした。繰り返しになりますが、この作業を始めるまでこのアルバムを実際に聴いたことはありませんでした。そして、自分に何ができるかについては、これだけのスピーカーが揃っているという事実を活用することでした。最前列でこのミックスを聴いたことはなく、さまざまなサックスが前方の左右にいることを忘れていました。でも、トロンボーンはサイドから聞こえましたね。後ろの中央にはチューバがあります。まさに狂気の沙汰ですが、ミックスしていて本当に楽しかったです。

また、トップレイヤーにどのような音源を配置するかを研究しました、その結果、持続時間の短い高域の音源(short duration, high frequency sources)を配置しました。また、私たちは必要なものすべてをつなげる素敵でナチュラルなリバーブを持っていますが、リスナーはそれを意識する必要は全くありません。このトラックは、モートン・リンドバーグ氏が非常にうまくマスタリングしてくれました。


ミックス中のジム・アンダーソン氏

インタビュー

彼らの哲学をさらに深く知りたいと考え、各氏にメールインタビューを行なった。

質問:

今回のテーマは、「イマーシブとサラウンド録音の理由と背景」でした。JASジャーナルの読者のために、もう少し皆さんの考えに触れてみたいと思います。あなたが感じる現在のイマーシブ制作の問題と未来、そしてあなたの録音で実現したい「録音哲学」を教えてください。

ウルリケ・アンダーソン:

録音哲学については、感情、論理、意図がレコーディングとミキシングのプロセスを導きます。私の意図は、あたかもこのようなパフォーマンスが起こり得るかのように自然に現れ、トランスペアレント(透明)で強調された体験をリスナーに提供することです。オーディオのみのメディアでは、音楽のロジックがある限り、各エレメントがどのように聞こえるか、空間内のどこに定位するかという創造性は、ほぼ無制限です。私は、近年のモダンで高性能な機器を駆使する事が好きな一方で、多くの場合、録音セットアップのシンプルさに真髄があります。また、プロデューサーとしては、今まさに目の前で行われるパフォーマンスからその本質までを拾い上げ抽出したいと考えています。

モートン・リンドバーグ:

録音芸術の美しさは、決まった公式や青写真がないことです。それはすべて音楽から生まれます。現在、ライブパフォーマンスに参加したときの感覚を正確に再現する方法はないと思います。そのため、音楽録音に関しては、幻想の芸術が残されています。レコーディングエンジニアやプロデューサーとして、私たちは優れたミュージシャンとまったく同じことを行う必要があります。つまり、音楽と作曲家の意図を解釈し、再生するメディアに適応させるということです。イマーシブオーディオは、文字通り動き回って空間的に関わることができる「音の彫刻」です。音楽に囲まれながら、聴覚の空間内を動き回り、角度、視点、位置を選択することができます。私は、コンサートの状況を再現するのではなく、録音芸術というものが、それとは別のものであると考えています。これにより、リスナーを最も理想的な位置に誘い、イベントの当事者となる可能性が得られ、感情的な影響はこれまで以上となる可能性があります。指揮者の位置というものは、これまでの録音では聴衆が座ることができなかった席です。私たちは、記録メディアを用いて理想を作り出し、リスナーに対して、「感情的により良い場所に移動させる音響体験」という最強のイリュージョンを生み出す必要があると考えます。

濱﨑公男:

22.2マルチチャンネル音響の研究開発を私が始めたのが2000年でした。それまでは、3-1サラウンドや5.1chサラウンドのためのマイクロフォンテクニックや録音手法などを研究開発し、国内外でクラシック音楽を中心に数多くの録音を行ってきました。22.2マルチチャンネル音響を開発した理由のひとつは、自然な空間印象の再生が難しい、最適なリスニングエリアが狭いなどの、5.1chサラウンドによる音楽録音再生の問題点を一挙に解決したいということもありました。このワークショップで説明したマイクロフォンテクニックは、22.2マルチチャンネル音響のための収音再生の研究から得られたものでもあります。現在、イマーシブサウンドは、22.2マルチチャンネル音響、AURO-3D、Dolby Atmos、360 Reality Audioなど、さまざまな汎用フォーマットで、多くの人が楽しめるようになり、いよいよこれからコンテンツ制作の真価が問われていく時代なのだと思います。残念ながら、イマーシブサウンドのフォーマット競争の影響なのか、市場に出ているイマーシブサウンド・コンテンツの中には、十分な音楽かつ音響的な品質が保たれていないものも散見されます。ぜひ、より多くの優れたイマーシブサウンドの芸術作品が世の中に出ていくことを期待したいですし、そのために自分自身も努力を続けていきたいと考えています。

私の録音哲学は、「科学に裏づいた技術をもとに芸術の創造を行う」ということにつきます。科学的な裏付けのある技術と芸術的視点のどちらが欠けてもよい録音はできないと思います。マイクロフォンテクニックはまさしく科学です。どういう指向性のマイクロフォンをどのように用いるのか、そして、マイクロフォンで収音した信号をどのようにスピーカーに出すのかは、科学的な裏付けを持って説明できなければなりません。そのうえで、録音の対象となる音楽を、作曲家や演奏家の視点で理解し、その音楽の芸術的意図を音として再現あるいは表現することが録音だと考えています。コンサートホールでオーケストラの演奏を録音する場合、そのコンサートホールのある客席の音を再現するといったことは意図していません。つまりコンサートホールでの音場を再現することが目的ではなく、そこで演奏される音楽による芸術的印象を記録再生することを目的としています。

イマーシブサウンドの録音では、従来の音響方式にくらべて空間印象の再現能力が格段に向上しました。イマーシブサウンドによる音楽コンテンツの中には、ある楽器の音像をグルグル回したり、頻繁に三次元的に移動させたりといった作品も見られます。イマーシブサウンドによる音楽芸術制作に問われているのは、音による空間印象の時間的変化にどのように芸術的意味を持たせられるかだと思っています。ギミックな音像移動は制作者がいくら面白くても、それに芸術的な価値や意味がなければ、音楽愛好家から、いずれ飽きられていくのではないかと危惧を感じています。

ラグーンヘイズル・ヨンスドッティル:

イマーシブ制作における最大の課題について、まず、私たちのイマーシブレコーディングを、実際にイマーシブ環境で楽しめる人が限られていることが問題だと思います。私は大きな都市に「サウンドシネマ」を設置して、人々がイマーシブサウンドで音源を聴くことができるようになると素晴らしいのではないかと考えてきました。人々は、「これらのイマーシブ音源をどうやったら聴くことができるのか?」といつも私に尋ねます。私は「イマーシブサウンドにおけるコンシューマー向けテクノロジーはますます良くなっている」と言います。イマーシブスタジオで聴く機会がなくても、サウンドバーや一部のイヤフォン、ヘッドフォンからは臨場感あふれるサウンドを少なくとも得ることができます。

次に、イマーシブレコーディングの制作プロジェクトに資金を提供するのが難しい時があります。予算が不足すると最初にこの予算が削減されることがよくあります。多くの人はイマーシブレコーディングを聴いたことがないので、当然その力や可能性を理解していません。まず、音楽業界に携わるすべての人が、これらのフォーマットに慣れることを優先すべきだと思います。なぜなら、イマーシブで録音された作品を実際に体験すると、そのインパクトを忘れることはなく、さらに言えば、「ボディとソウルにとって重要」と感じると思います。それは音楽を強化し、非常に感情的なリスニング体験をもたらし、それは本当に魅惑的です。

私の録音哲学は基本的に、音楽の瞬間を可能な限りピュア(=純粋)に捉えることです。つまり、私のアイデアは、音楽の意図やその瞬間の雰囲気を妨げるものであってはいけないということです。また、私にとって、重要なことは、音楽を録音するということは、単に瞬間を記録するだけではないということです。なぜなら、私にとって録音という芸術は、ライブパフォーマンスでは捉えることのできない「intimacy of sound=親密な音」を捉えることだからです。マイクは観客よりもずっと出演者に近いところにあります。したがって、私たちはこの近い位置を利用し、ミュージシャンがコンサートホールの奥ではなく、マイクに向かって演奏するように促す必要があります。このようにすると、私たちは、サウンドの親密さと音色の豊かさを得ることができ、音楽を本当に強調させることができます。サウンドは、常に音楽的であり音楽に役立つものでなければなりません。これこそが私にとって録音の真の芸術です。

深田晃:

音楽録音の哲学について、私は、コンサートで音楽を聴くのと、録音された音楽を聴くのは全く違うものだと考えています。つまり、録音というのはコンサートの「記録」ではなく、音楽の本質を伝える一つの手段だと思います。もちろん、そのためには曲や楽譜に対する理解と知識が大前提で必要であり、その上で技術的な努力が必要です。私は、音楽を録音しているとき、演奏者と同じ視点を持っています。つまり、音楽がどのように展開していくのかを常に意識しながら録音しています。そしてスコアから求められるバランスに調整する必要があるので、ある意味指揮者と同じ方向を向かなければならないと考えています。イマーシブレコーディングは、音楽の提供の仕方がよりダイナミックになります。

また、イマーシブを聴くことは、「新しい体験」となると思います。つまり、新しい方法で音楽をリスナーに提供できるのではないかと思っています。音楽の録音は演奏している時と同じ感覚で行なっていますが、イマーシブでの視聴は視聴者にそれと同じようなダイナミックな音楽体験を提供できるのではないかと考えています。そのため、私は、5.1chサラウンドのように「コンサートホールで聴く」のではなく、まるで「演奏者の中にいるような空間」を作れないかと考えています。イマーシブレコーディングされた音源が将来どのように聴かれるかについてはさまざまな意見があると思いますが、私は「新しい音楽体験」を提供したいと考えています。

ジム・アンダーソン:

一般的に、私はミックス自体に注目を集めず、音楽が可能な限りナチュラルな環境に存在できるようなミックスをクリエイトしたいと考えています。そして、リスナーに対しては、技術的な事柄について考えることなく、音楽のエモーションに集中してもらいたいと思っています。私は、自分のテクニックがトランスペアレント=透明であり、目の前の音楽に貢献することを望んでいます。

終わりに

録音の世界のトップノッチによる3D Audio制作には、まず、「リスナーに何を伝えたいか?」という理由があり、そして「それを実現する制作手法と録音技術」という背景があることがわかった。つまり、まさに本ワークショップのタイトル通り「理由と背景」がはっきり示されていた。そして、彼らの録音哲学からは、そもそも録音というものは、ある空間で音楽家が演奏したサウンドをマイクで捉えるというとてもシンプルなものであるが、反面、どのような考えを持って芸術的なサウンドをクリエイトしていくかということこそが最も重要で、これこそが音楽録音の核心であると教えてくれているように感じた。

現在の音楽制作を取り巻く環境は、ステレオから3D Audioに変化していく中にあると思うが、スマートフォンが急激に普及したように、今後、「あっと驚く」メディアプレイヤーが誕生した時、これらの3D Audio音源は、世界中のリスナーごく普通に届くこととなる。それまで、私たち制作者は一体何ができるか?トップノッチの取り組みは、私たちに問いかけているように感じる。今回、惜しみなく、自身の哲学や実践を紹介してくれた彼らに改めて感謝を申し上げたい。

執筆者プロフィール

長江和哉(ながえ かずや)
名古屋芸術大学 音楽領域 サウンドメディア・コンポジションコース 准教授
1996年、名古屋芸術大学音楽学部声楽科卒業後、録音スタジオ勤務、番組制作会社勤務等を経て、2000年に録音制作会社を設立。2006年より名古屋芸術大学音楽学部音楽文化創造学科 専任講師、2014年より准教授。2012年4月から1年間、名古屋芸術大学海外研究員としてドイツ・ベルリンに滞在し、1949年からドイツの音楽大学で始まったトーンマイスターと呼ばれる、レコーディングプロデューサーとバランスエンジニアの両方の能力を持ったスペシャリストを養成する教育について調査し、現地のトーンマイスターとも交流を持ちながら様々な録音に参加し、クラシック音楽の録音手法を研究した。2018年、2022年、ベルリン芸術大学トーンマイスターコース、トースタン・ヴァイゲルト氏らとともに、オーケストラ楽器収録とピアノ収録におけるマイクアレンジ比較音源の制作を行い、楽器の放射特性を音として比較試聴できるWebページを制作し公開した。「飛騨高山ヴィルトーゾオーケストラ コンサート2013」が第21回日本プロ音楽録音賞 部門D 2chノンパッケージ最優秀賞、「情家みえ Save the Last Dance for Me」が第28回日本プロ音楽録音賞 Super Master Sound部門 最優秀賞を受賞。AES日本支部役員、Verband Deutscher Tonmeister会員。
http://kazuyanagae.com/