2021winter

連載:思い出のオーディオ Vol.1

一般社団法人日本オーディオ協会会長小川 理子

皆さま、寒中お見舞い申し上げます。
昨年から続くコロナ禍は、年始早々大規模な緊急事態宣言発動へと拡大し、厳しい事態に直面しております。本年こそは、安心安全に暮らせる社会となりますよう、心から祈っております。

さて、私の連載もこれまで徒然なるままに音や音楽について書き続けてまいりました。本年は、思い出のオーディオ、というタイトルで、私とオーディオのこれまでの様々なお付き合いについて書かせていただきたいと思います。

一番古いオーディオの思い出は、昭和のアンサンブルステレオ。私の生まれる前、たぶん父母が結婚した時に買ったものなのか、父が実家から持ってきたものなのか、そこは知らないのですが、とっても素敵な家具調の大きなステレオでした。それで毎日のようにレコードをかけてもらい、幼稚園に入って自分で機器をさわれるようになってからは、自分自身で好きなレコードをかけて聴いていました。幼な心にいい音だと感じました。大きな四角い箱から音が出ているのには間違いないのですが、その音が温かくて、心地良くて、私が感性豊かに育ったのもこういう体験のおかげが大きいと思います。印象に残っているのは、ステレオの正面に赤いダイヤマークが3つ、つまり三菱電機のロゴがついていたこと。そして、レコードに針をおとすのが、とても難しくて緊張したこと。レコードに傷をつけないように、とてもとても慎重に、おどおどしながらアームを人差し指で持ち上げて、それをレコード盤の上にそっと置くという瞬間に、指先が震えて、位置がずれてしまって、盤面からすべり落ちたこともよくありました。たぶんレコード針は悲惨な状態になっていたことと思います。でもそのときの、得も言われぬお作法の感覚、フィジカルフィーリングが今もなお記憶の奥底に焼き付いているわけです。テレビのチャンネルをフィジカルにがちゃがちゃと回した記憶よりも、レコードを扱った記憶が特別なものになっているのが、オーディオの持つ趣味性であろうと思います。このアンサンブルステレオは、兄が中学入学のお祝いで父母に買ってもらったビクターの4チャンネルステレオに置き換わるまで愛用しました。

小学校に入って、ピアノの発表会で初めて自分の演奏をカセットテープに記録してもらったことが、その次に古いオーディオの思い出です。1962年にオランダのフィリップス社が開発したものですから、1962年生まれの私が、小学校低学年のときに父が使っていたものは、日本でもまだ発売したての頃だったと思います。それでも、発表会に持って行って、座席に置いて、大きな会場で弾くピアノの音をきちんと録音するとなると、なかなかのシロモノだったと思います。機材はたぶん外国製だったと思います。その録音された音を、家に帰って何度も繰り返して聴くのが本当に楽しくて、嬉しくて、やはり特別な感じがありました。

中学生時代には、友人達の間で、お気に入りの音楽を録音したカセットテープの交換が流行りましたが、その時に録音に使っていたのが、Lo-Dのカセットデッキでした。これは日立製でした。このカセットデッキも20年以上もの間、長く愛用しましたが、音のバランスもよく、どっしりとした安定感のある音質で、温かくていい音がしましたし、何よりも最後まで壊れずに、よく働いてくれました。今思えば、カセットテープとのつきあいが一番身近だったと思います。夏休みに海水浴に行くときには、電池で動くラジカセを必ず持って行きましたし、ソニーのウォークマンが登場するまでは、一人で夕暮れの海岸でラジカセを聴いていました。

よく同僚の男性の話の中では、高校時代は自分の部屋で、自分だけで楽しむミニコンポを持つのが当時の憧れだった、と聞きます。私の場合、ピアノを弾いていたので、ピアノの部屋に4チャンネルステレオを置いてもらって、兄と一緒にレコードを聴いていたものですから、ハードロック、ヘビーメタル、プログレ、フュージョン、など、主に男性が好んで聴く音楽も様々楽しむことができました。

こんなふうに、昭和生まれの私は、昭和の時代に、レコードとカセットテープで音楽を楽しんだものです。いわゆるオーディオマニアではなく音楽愛好家に属する私が、オーディオにこり始めたのは、会社に入って、オーディオマニアの上司、先輩や評論家の先生の蘊蓄を聞いて、面白い世界だなあと思った新入社員の時でした。平成、そして令和の時代に、オーディオとの付き合い方も様々に変化しました。次回は、初めてのお給料で買ったオーディオの話をしたいと思います。