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2025winter
3Dサラウンドの常識を覆すOPSODIS技術 ~耳元で、背後で、遠くで音が響く~
鹿島建設株式会社 技術研究所
立体音響プロジェクトチーム 村松繁紀
概要
鹿島は、音楽ホールや大会議場、スタジオなどの音環境を設計図から可聴化する「音の建設」を追求しています。【OPSODIS®】は、独自のテクノロジーを使って、まだ実在しない建物内部の音を設計段階から再現できるオーディトリーリアリティです。もっと良い音響空間を設計したいというホール建築に携わる多くの人の声に応える技術でもあります。
1. はじめに
総合建設業の鹿島建設株式会社は、音にこだわる建物にも多く携わってきております。技術研究所における音の研究も、建物を設計・施工する上で大切な研究課題の一つです。その研究成果の一つが【OPSODIS®】となります。
鹿島が自前の技術研究所を立ち上げたのは1949年で、日本の建設会社では初めてのことでした。この時から、工事中や建物完成後に問題になることがある「騒音」や「振動」についての研究がスタートしました。最初は「騒音」や「振動」という、いわば「汚い音」の制御の研究からスタートしましたが、この基礎研究から積み重ねて、現在では「良い音のホールはどうすべきなのか」といった、音にこだわる研究に進化しています。
世界的な評価を得る音楽ホールにするためにはどうすべきなのか、数えてみると「音」に関わる研究を75年も継続しているのが鹿島です。そして、建設する上で大切なことの一つが、お客様との合意形成です。一言で「音」と言っても、千差万別。お客様と目指すべき方向を合わせる必要があります。
では、どうするか。
鹿島は、音楽ホールが建設される前の図面だけの段階で、完成した後の音をコンピューターでシミュレーションし、解析し(図1参照)、その結果を、お客様に実際に聴いて確認していただくことで、評価および合意形成を図るように可聴化することを目指しました。スピーカーにより音楽ホールの音が正確に再現できる技術、それが【OPSODIS®】です。
図1:コンピュータ・シミュレーションの結果を色で表現した場合
鹿島技術研究所の音の研究者である武内隆が、音と振動の研究の権威である英国サウサンプトン大学に留学中の1996年に必要な技術を発明し、その後、鹿島技術研究所とサウサンプトン大学との共同研究により開発されました。
また、この技術がご家庭などで使用するスピーカーに搭載されたら、各家庭で音楽ホールの響きが再現できるということで、鹿島は20年前からオーディオメーカー各社にOPSODIS技術をライセンス供与してまいりました。
2. OPSODIS技術について
それでは、OPSODIS技術について具体的にご紹介させていただきます。
人間は二つの耳を使って、360度の音を聴き分ける能力がありますが、どのように音を聴き分けているのかから話を始めたいと思います。
例えば、右斜め前で犬が“ワン”と哭いた時に、その音は人の耳にどのように届くでしょうか?
音は、空気の振動として人に届きます。空気の振動は直接耳に届くだけでなく、顔にも当たり、その振動は変形しながら左右の耳に届きます。複雑な形状の左右の耳たぶにより、振動は更なる変形を伴って、耳道を通って、やっと左右の鼓膜に到達します。右斜め前の音は、最初に右の耳に、少し遅れて左の耳に時間差を持って届きます。(図2参照)
また、その音は距離の近い右の耳には大きな音として、距離の遠い左の耳には、距離の分だけ減衰した小さな音となって届きます。このように様々な要素が加わり、左右の耳で別々の音を聴くことによって、脳が「この音は右斜め前、距離はこのくらい」と判断しています。この能力を使って前後左右および遠近を聞き分けるためには、左右の耳にそれぞれ別々の音を、正確に届ける必要があります。
次に、左右の耳にそれぞれ別々の音を、正確に届ける方法について述べます。左右の耳に届くそれぞれの音を、それぞれ個別に録音する方法として、バイノーラル・マイク(ダミーヘッド・マイク)があります。簡単に説明すると、左右の耳の鼓膜の位置にマイクを置き、音を収録するものです。左右別々の音をヘッドホンやイヤホンで左の耳用の録音は左の耳だけに、右の耳用の録音は右の耳だけに届ければ、人は立体音として認識することができます。
では、同様に左右別々に録音した音を2本のスピーカーで聴くと、どうなるでしょうか(図3参照)。残念ながら、スピーカーから出た音は、右スピーカーから出た音も左スピーカーから出た音も、右の耳、左の耳それぞれに届いてしまいます。これでは、左右別々の音を正確に左右の耳に届けることができません。
そこで、この問題を解決する方法として、クロストーク・キャンセルという技術があります。従来のクロストーク・キャンセルでは、キャンセルしたい音と180度位相をずらした同じ強さの音を出すことにより、クロストークをキャンセルしていました。左スピーカーから出た音を左の耳だけに音を届けたい場合、左の耳に音が聞こえてから少し遅れて、右の耳に少し小さくなった音が聞こえます。これをまたキャンセルするための音によって、今度は少し遅れて左の耳に少し小さくなって届くということがおき、これを繰り返すために、打ち消すためだけの音を出し続ける必要がありました。これは非常に効率が悪く、聞かせたい音の何倍ものエネルギーが必要となる課題が存在します。(図4参照)
一方、OPSODISでは、全く異なる発想でクロストーク・キャンセルを行っています。
同様に左の耳だけに音を届ける場合、まずは聞かせたい音の半分の出力を左スピーカーから出力します。この半分の音は左の耳にも右耳にも届きますが、右のスピーカーからも残りの半分の音の位相を180度では無く、90度だけずらした音として出力します。すると左の耳では丁度届いた音が同じ方向となり増幅され、聞かせたくない右耳では丁度180度ずれてキャンセルされる状態となります。左の耳では0.5+0.5=1となり、右の耳では0.5-0.5=0を実現することになり、無駄なくクロストーク・キャンセルを行いますので、従来の方式のような聞かせたい音の何倍ものエネルギーを必要としません。(図5参照)
図5:OPSODISのクロストーク・キャンセル(周波数領域)
ただし、この状態を全ての周波数帯の同じ視聴位置で実現する必要があるため、スピーカーユニットをツイーター、ミッド、ウーファーの3つずつで構成し、帯域分割して音を出すことで、全周波数で同時に0.5+0.5=1と0.5-0.5=0を実現したクロストーク・キャンセルを行います。
帯域分割する際には、最も制御効果が高くなるスピーカーユニットの角度と制御効果の関係性を考慮して、制御効果が高い状態のみを利用しています。(図6参照)
このように、帯域分割してユニットの位置を決めて音を出すことが重要な要素技術となっていることから、「Optimal Source Distribution(最適音源配置)」から【OPSODIS®】という命名がされました。
もう一つ重要な要素が、HRTF(頭部伝達関数)です。サウサンプトン大学にある世界最高峰の無響室で20年近くに渡り蓄積してきたHRTFのビッグデータを使うことで、全方位の音を再現することにより、この音を聴いている人の意識下からスピーカーを消すことができます。この状態を「ステルス・スピーカー」と名付けています。(図7参照)
3. 最後に
以上のように、OPSODIS技術は、人の耳の優れた能力を最大限に活用して、立体音響を体験できる技術であることがお分かりになったかと思います。鹿島が音の研究をスタートしてから75年、2005年にマランツES-150が世に出てから20年に渡り、OPSODIS技術のライセンスを行ってきていますが、その節目の年にOPSODIS技術について評価していただき、「音の匠」という大変栄誉ある賞を授かりましたことは、感謝の念に堪えません。
OPSODISの更なる認知度アップを目指して、現在、鹿島建設自らオリジナル・スピーカー【OPSODIS 1】を開発中で、目の前のスピーカー1台で360度の立体音響を実現します。クラウドファンディングにてご支援を募っていますが、お陰様で試作機が大変高評価をいただいており、支援額が5億5,000万円(2025年1月時点)を超えて、現在、日本でのプロダクト系クラウドファンディングで歴代2位となっていますが、まだまだご支援の輪が広がっています。
コンテンツ制作・販売事業者、配信事業者、音響関連メーカーが、One Teamとなって、立体音響が広く親しまれる世界を構築したいと願っています。
執筆者プロフィール
- 村松繁紀(むらまつ しげのり)
1993年、明治大学理工学部電気工学科卒
1993年、鹿島建設株式会社 A/E総事業本部 設備設計部 入社
2004~2007年、KAJIMA EUROPE 中欧設計室
2007~2020年、鹿島建設株式会社 建築設計本部 設備設計部2021~現在、鹿島建設株式会社 技術研究所 立体音響プロジェクトチーム
オプソーディス・リミテッド東京事務所 事業推進統括部長趣味は学生時代から継続しているオペラ出演。現在はプロデュースも手掛ける。