第2回・1997年の音の匠
当日展示された音の匠の3作品 左より篠原 儀治氏による江戸風鈴・前田 仁氏考案のサヌカイトを加工した石琴・明珍 宗理氏が鍛造した火箸風鈴
協会では関連団体の協賛を得て発明王エジソンが自作の錫箔蓄音機に、自ら「Mary had a little lamb……」 と吹き込み、再生に成功した1877年の12月6日を音の日として制定。 音の重要性を広く認識いただくために1昨年から「音の匠」を選定し、記念行事の一環として表彰を行っている。 風と音,歴史の素材から本年は「風と音」,「歴史の素材」をキーワードに音を通じて文化や暮らしへの貢献者を実行委員会で選定、 関係者、来賓出席のもとに昨1997年12月5日(金)東京・虎ノ門パストラルにて表彰式を行った。 なお、式は中島会長の主催者あいさつ、表彰状の授与、副賞贈呈(社団法人日本オーディオ協会: 鹿井副会長、社団法人日本レコード協会:常務理事木村 三郎氏、電波新聞社:常務取締役二宮 元氏)、 鹿井副会長祝辞により執り行われた。
篠原 儀治 氏 (しのはらよしはる)
篠原風鈴本舗は千葉県に隣接した江戸川区の南篠崎にあり、創業は今を去ること約80年前の大正4年。 当代の儀治氏は大正13年(1924年)生まれで、氏はその二代目にあたる。 昭和30年代までは吹きガラスによる風鈴製造工房は東京都内を含め8~9軒ほどあったとのことであるが、 伝統を今に伝える江戸風鈴製造元は今では篠原風鈴本舗1軒のみとのこと。 通りに面した作業場では冬でも溶けたガラスが赤々と光を放つ。 風鈴はまったくの手作りで、ガラス管の先に種ガラスをつけてまず小さい球を作る。 この球にさらに種を付けて、ガラス管を斜め上に持ち上げる「宙吹き法」によって作り上げたのち、 ヤットコで管から切りおとし、後加工を経て本体ができ、その後絵付けなどを行い完成される。 暮らしのひとコマを彩る風鈴にも形状の工夫や肉厚を変えるなどの秘密があり、“舌”にあたる ガラス棒が風に揺られて本体に当たる部分をギザギザにすることによって独特の澄んだ音色を生み出すとのことである。 篠崎氏が作る風鈴は、夏の夕方、行水のあとの一種気怠い心地よさに通じる落ちついた音を発している。 せわしい世相を反映してか、最近ではもっとピッチの高い音のするものが要求されることもあるという。
前田 仁 氏 (まえだ ひとし)
氏は昭和4年(1926年)香川県生まれの教育学博士。ご本業の会社経営のほかにサヌカイト楽器の創始者として、 音楽教育の分野でボランティア活動を続けておられる。 学名サヌカイト(別名讃岐石)と呼ばれる、黒くて固い石は氏の地元の坂出市の金山などに分布。 1,350万年前に地殻変動によって噴出した溶岩が固まってできた岩石で、これを2cm角の棒状にして互いを叩くと 独自の非常に澄んだ音がする。氏はこの石に驚嘆するとともに感銘を覚え、なんとか現代に蘇らせる方法はないかと模索。 中国の黄河文明期に生まれたといわれる石の楽器(磬)その他を研究し独自の石琴を考案、1981年にはサヌカイト琴を完成。 これは円柱状の石の中心部を同心円状にくり抜き「E」の字を右に90度傾けた独特の工夫がこらされたものである。 なお、1986年の武蔵野音楽大学における演奏以降、内外各地でコンサートが開かれており、 最新の演奏ではツトム・ヤマシタによる<太陽の儀礼III 神々のささやき>があり、CDで聴くことができる。
明珍 宗理 氏 (みょうちんむねみち)
明珍家は古く平安のころから代々、甲冑師として武具を作っており、宗理氏は昭和17年(1942年)生まれ で平成4年に第52代目を襲名、現在は姫路城の近くに工房を構えている。 22代目の頃に天皇の命により作り上げた鎧轡が発する音が「朗々とし,明白にして玉のように珍器なり」と いうことで明珍の名を戴いたという。明治維新以降は火箸の製作などを手がけ、火箸が打ち合って発する澄み 切った音は鈴虫にも伍するものと讃えらる。火箸風鈴は昭和40年(1965年)に宗理氏によって考案されたが 「つくし・瓦釘・つづみ・わらび・槌目付」型など,各種の形状のものの組み合わせによって構成される。 短いものは高く澄んだ音が、また長いものは余韻とともに複雑なスペクトルを持つ音がする明珍独特のもの。 なお刀剣製作に使われる「玉鋼」を初めて使っての火箸製作も行われているとのこと。 この4月にNHKで放映された『街道をゆく』の音楽は冨田勲氏の作曲になるが、ここにも明珍火箸の音色が六年間、 来世紀まで使われるとのことである。